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作庭私論・ふるさと秋田の庭をつくる〜3

数年後、庭誌で、山形の横山英悦さんの作庭観に触れることになるのですが、当時、この近辺でこのような考えは受け入れられないことでしたので、同じ東北で同じようなことを考え、既に実践されている方がいることを知ったのは、本当に嬉しいことでした。

私は雑木が好きで庭に山の木を植えますが、こちらでは雑木という言い方はあまり馴染みがありませんので、「山の木」という言い方のほうが好きです。
なぜ庭に山の木を植えるのかというと、やはり雪に強い庭をつくるため、土地の気候風土に馴染む庭をつくるため、ということが一番の理由ですが、同じ種類の山の木でも、谷や尾根、中腹、沢沿いなどの地形が違う所では幹の曲がりや枝の出方なども違うように思いますので、庭に植えた木から、その木が生えている山の情景が思い浮かぶような舞台づくりをしてあげたいと思っています。それが、親方から教えていただいた「自然の法」に適うということなのではないかと。
また、庭に身近な山の木を植えれば、山と家、山と街の景色が繋がります。
以前に、古民家などの伝統的木造工法の研究で著名な鈴木有先生(秋田県立大学名誉教授)から「近くの山の木で家を作る」という考えをお聞きし、共感したことがあるのですが、近くの山の木で建てた家に近くの山に生える木を植え、近くの山の石で垣や道をつくり、近くの山の土で壁やタタキをつくる。
そんな家が増えれば、近くの山は近くでなくなり、街は山と繋がって山そのものになるのではないか。
そんなふうに、ふるさとの野山と家が溶け込むような住空間をつくれたら素晴らしいと思いました。
土地に残る古い土蔵などを見ると、その土地の土や砂、砂利などが入り混じっていて本当に味があります。庭も、このような身の回りのものでつくってもいいのではないかと思うのです。
庭や家はそれぞれに個性的で、画一である必要は無いと思っていますが、建物ばかりでなく食物などにも地産地消が叫ばれる昨今、田舎の風景や暮らしと調和する住空間をつくるという点でも、もっと地産地消を取り入れた庭づくりをしていきたいと思っています。

山の木といえば、秋田の山に生える木のほとんどは落葉樹です。
最近は、この落葉樹の持つ効果というものを強く意識するようになったのですが、そんなふうに思うようになったのも、今行っている街路樹の活動のお陰です。
この活動も、初めの頃は剪定の美醜についての問題提起でしたが、活動を通して知り合えた方々の様々な思いに触れるうち、「街の木は何のためにあるものか。なぜ街に木を植えるのか。人と樹木との共生とはどうあるべきか。」ということを真剣に考えるようになりました。

夏のある日、街中で庭の手入れをしていた時、散歩途中のおばあさんが街路樹の木陰で休んでいる光景を見たことがあります。
秋田は雪国といえ、夏は気温も三十度を越えますし、若い人でも木陰に涼を求めたくなるのではないかと思いますが、この光景を見て、自宅まで木陰がずっと続いていたらどんなに楽だろう、日傘を差さずに街中を散歩できたら気持ちいいだろうなぁ、などと思ったものです。
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