『お子さんがお地蔵さんを撫でている横で、おかあさんがやさしく微笑んでいる。そんな景色が目に浮かびます』
作庭にあたり、ご住職からいいただいたお言葉。イメージしたのは、衆生に開かれた優しい庭。
北秋田市綴子にある宝勝寺は寛正4年(1463)創建と伝わる曹洞宗の寺院。
朱色に塗られた山門は重厚感がある二階建ての楼門で、元文2年(1737)の創建とされる。
この改修では、通路を挟んで向かい合う鐘楼と地蔵堂のある二つの区画に手を入れさせていただいた
鐘楼前の庭。
この庭は既存の密植のサツキを解体し、これまでの「眺める庭」を、庭の中を回遊し、かつ四方の眺めも楽しむ庭へと作り変えた
土壌の浸透改善等で発生した残土を使って起伏をつくり、ゆるやかに登る石畳で紅葉山を表現。鐘楼の前の庭は、既存の樹種に合わせて、モミジやカエデを補植した
約40歩の小道の散策は、石畳の登り坂、峠の泉、そして下りの坂道へと、進むごとに景色が変わる
道はさらに奥へと続き、歩を誘う
紅葉山を下り、シャクナゲが彩る木立を抜けるとお地蔵さんが佇む。舟形の石に乗るお地蔵さんから、枯れ流れが始まる
道はさらに下って曲がりくねりながら進み、ゴールへ。
道の終点は、始点でもある。この庭は、達磨さんの周りを回遊するように小道を通した
達磨の乗る大岩の反対側は、枯池になっている。外の四方から見る庭を改修し、中から外の景色も見られる庭へ。
峠から降りてくる人と登る人がすれ違えるよう、外側に一石、待避できる場所をつくった。その石に乗ると、しゃがんで大黒さまに手を合わせることができる
大黒さまは福の神。今の世に幸せを願い、手をあわせる。
穏やかなお顔は、そこにおられるだけで癒される。
鐘楼前の庭
地蔵堂前の庭。
庭の向かいの鐘楼には大きな梵鐘があり、その大鐘と呼応するようにこの庭にも鐘をこしらえた
鐘の地下は水琴窟を仕込み、釣り手となる馬蹄に水を掛けると繊細な水音を奏でる
庭は三方からアプローチが可能で、大勢が同時に音を楽むことができるよう、鐘を囲むように伝いを配した。「両使いの蹲踞」ならぬ、『四方使いの水琴窟』。
二つの水琴窟の後ろには石のベンチがあり、一休みしながら音を楽しむことができる。
5月。移植したサツキが花を咲かせ、石庭を鮮やかに彩る
石のベンチは座る向きを変えれば、庭の中と外、どちらの景色も楽しめる
中鐘は、アオダモやリョウブ、ドウダンツツジに囲まれている。この木々がフレームとなって、対面する二つの庭を一つに見せる
土の鐘は、鐘楼の大鐘と対面するように置いた。
お寺は、自分と先祖が向き合い、語り合う場所。繋がりを感じ、次代へ繋いでゆくところ
「現実世界である『此岸』において、迷い、悩み、苦しむ人びとを救ってくださるのがお地蔵さんなのです」ご住職から、そんな話を伺う。
仏教では、生死の迷いを海や川に例える。人が苦しみ、悩み、迷う此岸。その向こう側にあるのが彼岸であり、悟りの境地。
ご住職のお話が、この橋に意味と必然を与えてくださった
禅宗のテーマでもある『相承』とは、弟子が師から、子が親から、学問・技芸・法などを次々に受け継ぐことを言う。
これまでに自分が受けてきた、様々な教えや想い。
その流れを止めず、次代に送ってあげたいと思う。