庭を育み守る

生物が息づく鳥海山の森
生物が息づく森の生態系

人はなぜ庭に木を植えるのか

原生林に身を置くと、木々や水辺から動物たちの息遣いが聞こえてきます。自然界の樹木は生態系という世界で暮らしていますが、生態系は動植物が共棲し、一生を繰り返す場所。

森の中にいると精気が満ちてくるのは、人もまた、自然界の一員であることの証。現代人が庭に木を植えたくなるのは、森で暮らしていた頃の記憶が蘇るからだという話があります。人は無意識のうちにも、緑に包まれたいという願望を持っているのでしょう。

自然界のルール

庭で命の息吹を感じるものといえば、四季折々に変化を見せる樹木や草花。こうした庭の植物の故郷も自然界で、彼らの先祖も生態系の一員でした。

生態系の植物に焦点を当てた表現に「植物群落」がありますが、この言葉には、「一定範囲で関連し合いながら生きている植物の個体群全体」とか、「一つのまとまりを持って生活している数種類の植物の集まり」という意味があります。

鳥海山のエゾユズリハ
ブナ林の低木層を構成する樹種のひとつ、エゾユズリハ(鳥海山)

これは庭にも言えることですが、違うのは、自然発生的な集まりである群落に対し、庭は持ち主や作り手に選ばれた木の集まりであるということ。「まとまりを持つ」ということは、多くの植物がまとまるためのルールがあるということですが、それが「自然の摂理」であり、自然界の法則ということなのでしょう。

この「まとまりのある集合体」を分かりやすく示しているのが、野や里にある森の姿です。森は多様な樹木が集う独立体ですが、「森」という字が示すように、木が集まると、全体はこんもりとした形になります。

森の真ん中から木々の樹冠を見上げる
森の真ん中から木々の樹冠を見上げる。木は光を求め、わずかなギャップへ向かい枝を伸ばし成長して行く

こうした姿になることにも理由があって、森の外周の木は強風にさらされて背丈が抑えられ、空間のある前方に枝を張らせます。 逆に、風の弱い真ん中辺りは光が差し込みにくいので、木々は下枝を伸ばすことをあきらめて光を受けようと背を高くします。

こんもりとした林冠になるのは、木々が、光や風などに環境適応した結果。そしてこの状態は、森の木には生えた場所での役割があるということで、外側の木々は風から森の懐を守り、内側の木々は強い日差しや雪から林床の植物を守っています。

加えて、樹木は風や日照、水気に対する耐性がそれぞれ違うので、その特性に合う場所に自然に生えます。そうした中で、樹木は周りの木々と共生するために、お互いが枝を伸ばす空間を分け合っています。これは、木同士が暮らすためのルールが働いた姿であるといえるでしょう。

枝や幹が内から外へと向かい、こんもりとした形になる森の姿
枝や幹が内から外へと向かい、こんもりとした形になる森の姿
多種類の木を「こんもり型」に寄せ植えした例
多種類の木を「こんもり型」に寄せ植えし、枝が放射状に外へと向かうように植えた例。植え付け時から「林冠」を形成させているが、剪定で形を整えると徒長を誘発して樹形を乱すため、林冠に合わせた樹木を選んで植えている。この状態を骨組みとして、上空に林冠を成長させていく。樹木が個々の個性を生かして伸びていけるよう、出来るだけ剪定しなくてもいい状況を、植え付け当初につくっておくと、手入れにあまり手が掛からなくなる。
家族で小さな苗木を植える
いつの日か、庭が森になることを願い、家族で小さな苗木を植える。10年20年先の姿を楽しみに、樹木の成長に愛情を注いでいく。

住み分けと空間の分け合いを考える手入れ

生態系は、長い時間の中で淘汰や交代を繰り返し、そこに住む樹種も徐々に変化していきますが、天変地異や人間による開発が無い限り、群落を乱すような異分子が侵入してくることもなく、穏やかな営みが継続されていきます。

一方で、人が自由に樹種を選べる庭は、生れも育ちも性格も違う初対面の木々たちが、突然一つ屋根の下で暮らし始めるようなもの。見ず知らずの木同士が共に暮らしていくためにはルールが必要で、それをつくるのは木を植える側の仕事。樹木の適性や特性に合わせた「住み分け」を考え、植えた後は、木々が「空間の分け合い」を行っていけるよう、手伝ってあげなければなりません。

それが「庭の手入れ」ですが、森の木々に役目があるように、庭の木々にも目隠しや見通し、風よけや日よけなど、その場で与えられた役割があるので、役目を果たせるような姿に導いてあげることが大切です。

剪定で枝の方向を導き木陰を作った様々な樹種の目隠し垣
様々な樹種で隣地との目隠しを作った例。剪定で枝の方向を導き、アプローチに木陰を作る

ここで、「手入れ」の意味を考えてみると、「手入れ」の「手」は「掌(たなごころ)」とも言い、「手の心」という意味。よく「手心を加える」と言いますが、「手心」は「手加減」という意味で、樹木の手入れには「加減」が必要だということ。手入れは「剪定」と同義で使われることがありますが、「剪定」は「刃物で枝を切る」行為を差し、手入れには切らずに成長を「見守る」という方法もあります。「手加減」の「加減」は「足し引き」のことですが、「引く(切る)」ばかりではなく「足す(伸ばす)」こともまた、手入れのうちだということです。

枯れかかったツリバナの木を後から生えてきた実生のヤマモミジが守り育てる
病気で上半分が枯れたツリバナの木を、後から生えてきた実生のヤマモミジが包み込み、樹勢の弱まったツリバナを風から守っている。ツリバナには手を入れずに見守り、モミジはツリバナを守れるように上方に伸ばしつつ、ツリバナに障っていく枝のみを剪定してゆく

森の中では、雷や寿命などで大木が役を終える時もあります。そうした時、林床に隠れていた種が一斉に芽吹き、大木の代わりになろうと成長します。これは庭の中でも同様で、大きな木が枯れた時などは、手前の木を伸ばしたり左右の木の枝を張らせたりなど、森の木が自然に空間を復元していくような育成が必要になります。

生態系は進化するものなので、成長させることや育成するということも「手入れ」。同じ形や大きさを維持し続けることが庭や木のため、というわけではないので、庭に合った「足し引き」を考えていくことが肝要です。

手入れを続けて8年後の庭の状態
上の写真から手入れを続けて8年後の状態(右下)。枯枝と歩行に障る枝のみを剪定、空間に向かって枝を出させて木をのびのびと成長させる
枝葉を適度に残し、真夏のアプローチに木陰をつくっている例
枝葉を適度に残し、真夏のアプローチに木陰をつくっている例。「木蔭をつくる」という役割を木々に果たしてもらうため適度な枝葉を残すように透かし剪定で管理、大きな枝抜きは冬に行い、芽出しの時期を避け葉が深緑してから軽い枝透かしを行う
ドウダンツツジの枝先を切らない「透かし」剪定
剪定量を「加減」しながら、「足して」いく手入れ。透かし剪定で管理されたドウダンツツジの初夏の状態と、落葉した姿(左下)。刈り込みは行わず、枝先を切らない「透かし」を施しているため、ドウダン本来のやわらかな枝ぶりになっている

上の写真は、隣地との境界に樹高1mのドウダンツツジを植えて生垣にした例です。上部を切り揃えずに伸ばしたことから8年で倍の高さになり、目隠しの役を果たすようになりました。右手上部にあるブナの枝のおかげで木自身が自己調節を行い、なだらかな稜線を描いています。前後の側面は剪定しても上部には手を付けないため、樹木の養分生成を確保できていることが、よけいな徒長を起こさせません。

➡玉刈りのドウダンを、雪に強い透かし剪定で自然樹形に戻した例 http://konohanoniwa.blog61.fc2.com/blog-entry-912.html

自然界と繋がる庭

自然界は、多くの群落が連続する緑の回廊ですが、個々の庭も、街なかにある一つの群落。その外に街路樹や公園があればそれも群落で、それらが繋がれば、街全体が森になります。

山の森と街の森が繋がれば、人がつくった森と自然界の森が繋がり、山から来た鳥が庭や街路樹伝いに街に遊びに来る。野鳥がのびのびとした庭の枝に止まり、居心地よさそうにしていれば、庭が生態系になったということかもしれません。

人も生き物も樹木も楽しく暮らせる楽園。それが、庭という住環境をつくることだと考えています。

大小の群落を点在させる
大小の群落を点在させて景観を展開、大きな森へと成長させていく庭
庭に樹々の群落をつくる
こんもりとした群落を広げて大きな森に導き、外の景色へと繋げていく

『庭を育み守る-福岡 徹』 豊藏均著「庭暮らしのススメ」より 2016年建築資料研究社刊

連絡先

Tel: 0185-75-2033(FAX兼)

メールはこちらから

■施工エリア…秋田県内/東北各地 (その他の地域の方はお問合せください。)

福岡造園 〒018-3123 秋田県能代市二ツ井町駒形字出口101

© 2003-2020 Fukuoka-Zouen.

お知らせ

街路樹コンテンツを独立させました。
街の緑を考える