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2007年3月1日発行の建築資料研究社「庭」174号の「街路樹は泣いている・パート7」に、私の記事が掲載されました。
2年前の「庭」164号・パート2に掲載された「秋田からのお便りー植木屋の良心と誇り」以降の私の行動の記録を記したものです。
先月HPにUPした「街路樹の透かし剪定」の様子も少し書いています。併せてお読みいただけたら幸いです。
2007年3月3日 福岡 徹
庭と自然、街並の景観は同じであるべき。
これは、作庭を志した頃からの、変らぬ私の信念です。
私の暮らす秋田県能代市の北には、郷土の誇り、世界遺産白神山地があります。太古から変わらぬ営みを続けるブナの原生林は、私たちに自然の恵みと素晴らしさ、命の尊さを教えてくれます。登録されて数年経ち、市民の自然環境に対する意識も格段に変わりました。
遺産地域周辺で木の枝が一枝でも切られると紙面の見出しを飾るほどですから、いかに世間の注目度が高いかがわかります。その反面、目の前の街路樹が棒のように切られて木の姿でなくなっても、何の驚きの声も上がらないのが現実です。
山の木も庭の木も街路や公園の木も、みな同じ生きている木、何の違いもありません。個人庭と公共の造園工事にも違いなどありません。違いがあるのだとすれば、それは仕事に臨む側の姿勢や志の問題なのではないかと思うのです。山の木と庭の木と街の木、同じ木なのにどうしてこうも扱いが違うのだろうかと、ブツ切りの街路樹を見る度にそう思う私です。
そんな故郷の現状に疑問を感じ、このコーナーに投稿したのが、2年前の「秋田からのお便りー植木屋の良心と誇り」でした。自らの故郷の恥部をさらしてまで、なぜあえて地域の現状を訴えたのか、やはりそれは、自分の選んだ植木屋の仕事に対する誇りと良心を大切にしたかったからで、自分の住む故郷に誇りを持ちたかったからです。
市との話し合い
一昨年、私の住む町と隣市である能代市は一市一町での合併が決定、昨春正式に合併となりました。旧能代市には「市長へのメール」という投書箱のようなものがありましたが、私はそれを利用して、街路樹の件を市に問い合わせました。当時、まだ他町の町民であった私は、他市である能代市に対してどのようなアプローチをしたらよいのかわからなかったのです。そのやり取りと内容は、前回の寄稿にある通りです。
ちょうど合併協議の真最中でしたので、残念ながら多忙な市長の声を聞くことはできませんでしたが、幸いなことに、直接担当課の方とお話をする機会を得ました。市の事情や能代の街路樹の経緯など様々なお話をうかがいましたが、要約すると、
街路樹に対する市民からの声は、ほとんどが落葉や害虫などの苦情であること(毎年、市民の奉仕で街路樹の落葉掃除をする事業もあります)。
無残なブツ切り剪定に目を留め、議会で取り上げる議員さんは居られないこと。
施工業者側も後継者や職人不足、老齢化などで、自分の住む街のために自分の技術で貢献しよう、という気概のある方は少ないこと。
市発注の植栽や管理について、発注者や設計者に意見を求める業者は居られないこと。
市には5000本を越す街路樹があるとのこと、予算の厳しい現状の中、1本の木の管理は10年に一度の割合になること。
など、能代の街路樹を取り巻く現状はとても厳しいものがあるということを知りました。このような醜い街路樹の剪定は全国的なものだと聞きますので、多分に、これは日本中の自治体でも同じような苦しい事情があるのだろうなと、行政側の皆さんの心苦しい心情を察するばかりです。
公共工事は誰のための、何のための仕事なのか
秋田県は庭の歴史が浅く、いまだに刈り込み主体の剪定が行われているような土地柄です。時々、松でもモミジでも何でも丸刈りにされている庭も見かけますが、職人の仕事でも、庭のバランスや木の役割を無視した手入れ、作者の設計意図を考慮しない手入れが多いような気がしています。
「木は切ってもまた出てくるから」。
業者ばかりでなく、一般の多くの方々からもこんな声を聞きますから、予算的な事情ばかりではなく、街全体の景観を考えないブツ切り剪定の背景には、そんな土地の風潮も現れているのではないかと感じています。
役所の方々は頻繁に移動もあります。植栽や管理に関する専門的な知識と実務を経験する時間的な余裕もありませんので、発注内容に関しての無理が出てくるのは当然のことです。
たとえば、「松の剪定」という依頼が来ても、透かしでやるのか、芽摘みなのか古葉引きなのか、枯枝枯葉をきちんと取るのか、どこまでやるかで、見積額には相当な開きが出ます。その剪定法まで理解できる職員の方はまず居りません。透かしの中でも一番難しい、落葉樹の剪定などはなおさらのことです。安く出せば仕事を落とすことはできますが、その代わり、植木屋の誇りと信用は落とします。
植栽の支柱などもそうです。樹冠からはるかに伸びた支柱は、いったいどこを目指しているのでしょう。無駄な支柱に風で枝が叩きつけられて、樹皮が傷んでいる姿をよく見かけますが、それは支柱を取り付ける時に予想できることです。結束点の上で切る手間がもったいないのでしょうか。この植木屋さん達はノコギリを持っていないのでしょうか。個人の庭でも、そんな支柱の掛け方をしているのでしょうか。俺が切るからノコギリを貸してくれ!という役所の方はいないのでしょうか。誰のための、何のための仕事でしょう。
役所の方に聞いたところ、この景観を壊す支柱は設計書の仕様通りなのだそうです。バカ正直に、木の生長や生理を知らない設計者の図面通りに施工して木が傷む。景観を作るために植えられた木が、支柱の林になって景観を壊す。木よりも大きな支柱で支えられ、脇役が主役を食い、死んだ木が生きている木を痛めつける。
木を生かすために植えるのに、木を傷めるやり方で植える植木屋。役所の担当者は、規格や本数しか検査せず、一番大切なところを見ない。見れない。それに甘える植木屋。設計施工管理が一貫して初めて良い仕事が出来るのに、設計者は現場に来ない。施工者は、現場を知らない設計者が書いた図面に従う。命を扱う仕事が、全てが事務的に進んでいく。
市民は、なぜここに木が植えられたのかも知らない。誰からも喜ばれない所に植えられた動けない木達。仕事が済めば木は放置され、傷み、やがて枯れる。枯れたことにさえ誰も気付かない。悲しい仕事の繰り返しです。
公共工事の全てがこうとは限りませんが、街路樹や公園樹、高速道路の植樹帯などの支柱を見る度に、こんな背景を連想してしまいます。
これも、役所が大切にする、国家資格を持つ方々の仕事です。資格って、いったい何でしょう。何のためにあるのでしょう。資格よりも大切なもの、植木屋の良心と誇りはそこにあるのか。この、支柱の問題も、街路樹と同様の、公共工事の抱える矛盾です。こんな光景は日本全国いたるところで見られます。
「美しい国日本」、そんな美しい国で、このような仕事が延々と続くのはなぜでしょう。田舎植木屋の私には知る由もありません。
まちづくりの職人を育てる
そんな中でも、施工者側からきちんと仕様についての確認をすれば、樹木に適した植栽や管理を行わせていただくことはできます。小さな町の、めったに出ない公共工事(失礼)、たとえ自分の所の仕事にならなくても、自分の住む町がきれいになればそれでいい。人の仕事に難クセ付けるのは気が進みませんが、公共工事は市民のためのものです。
より良い街にするためには、言うべきことは言うべきだと、こんな時は都合よく、仕事をもらうお客さんの関係から市民の立場、専門知識を持つ立場になってもいいのではないか、そんな気持ちでやっております。業者に、町を思う心と植木屋の良心と誇りがあれば、伝わる人には伝わります。それを自分がやるかどうかの問題です。
植木屋の技と心は両輪であるべきです。ぶった切り剪定には技も心も要りませんが、能代市にも、優れた技術を持つ方はおります。木の生理を知り、それを庭や街並の景観に活かす技術があるから技術者です。そんな優れた技術を持つ方がおりながらも、なぜ能代の街並はこんな悲惨な姿になっているのだろうか。そんな方々が市の仕事に参入されないのは何故だろう、とてももったいないことです。
私が、たった一人でも、他市のことでも、こんな街路樹運動や醜い支柱の撲滅運動をやるのは、そんな方々の目を自らの暮らす街に向けさせたい、その技術と良心をふるさとの街のために活かしてほしい、という思いもあってのことです。これはよく勘違いされることなのですが、「市の仕事を受けたいからそんなことをするのだろう?」などという悲しい言い方をされることもあります。自ら進んで、自分の質と信用を落とすだけのぶった切り剪定など、誰がやりたいと思うでしょう。そんな仕事は、若い人たちにもやらせたくありません。
現在の状況では、志ある若い造園人は育ちません。機械的なブツ切り剪定には夢も希望もない。心も技も無い作業をするのでは、ただの作業員です。「庭づくり」も「まちづくり」も、結局は「人づくり」。志ある人間が先に立たなければ、庭も街もいいモノは出来ません。植木屋は「庭づくりの職人」ですが、「まちづくりの職人」でもあるべきです。我々施工業者が「作業員」から「職人」へ、「職人」から「匠」へと変わる時、街は本当の意味での「環境の街」に生まれ変わることでしょう。次代を担う若い方々のためにも、親方衆の奮起が望まれるところです。
こんな話を、市との話し合いの中でもさせていただきました。ありがたいことに私の話に理解を示してはくれましたが、いただいたお返事は「支柱の件は即刻対処する。街路樹の件は、君の話は正しいと思うが、世間で認知されている権威が証明してくれなければ、市としては動けない。美醜は感覚的なものなので判断が難しい。」というものでした。一介の町植木屋に、権威と呼ばれる方など知る由もありません。考えたあげくに取った私の行動が、「庭」誌に投稿し、全国からの評価とご意見をいただくこと、取組の実例を紹介していただく、ということでした。
本音を言えば、失礼ながら、役所の方のお話は逃げ口上で格好の言い訳だと感じ、非常に悔しい思いをしました。ただ、ここであきらめてしまえば、このブツ切りが当たり前の市の剪定法が、合併によってわが町にも侵入してくる。それだけは絶対に阻止したい、という思いがありました。役所(旧町)には、この15年間、何度も矛盾した仕事の改善を伝え、いただいた仕事の中で無償で実践してきました。が、担当者が移動になればそこで終わり、大手業者が仕事に来ればまた元に戻るという悪循環の繰り返しでしたので、合併で新市の方向を協議している今なら、環境都市宣言を打ち出そうとしている今なら、もしかしたら変わるかもしれないと思いました。
掲載 その後
庭誌は、田舎植木屋にとっては憧れの専門誌です。全国の名だたる作庭者の方が目を通されるということを意識すると、それが目的の投稿でも、掲載された時は大変な緊張感と責任を感じました。当時「街路樹は泣いている」のコーナーはまだ始まったばかりです。業者の投稿は私が初めてでしたので、自分は絶対に正しいことをしているという自信はあっても、周りに賛同してくれる業者は一人もいませんでしたから、市や県、全国の全ての同業からの見えない視線を感じ、過剰なほどの重圧と孤独の日々を過ごしました。
それでも、自分の行動には責任を持つ、仕事の質と言葉の一致、有限実行言動一致が私のポリシーでしたから、一度口にした以上、形になるまでは絶対に続けるという思いで、ことあるごとに役所や新聞社、知人、顧客の皆さんに話し続けました。会う人会う人、話の解る方には誰かれともなく話しました。仕事の一服の時間もその話題です。夜、飲みに行った先で、偶然隣合わせた、くだんの街路樹の通りに住む方から「街路樹って、あんなに切ってもいいのか。」と話しかけられ、思いがけず市民の関心度の高さを知ることも出来ました。
すがれるものには何にでもすがろうという思いでいましたから、偶然、地元の新聞で目にした宮脇昭教授の講演会にも参加しました。庭誌でも街路樹のお話をされていたからです。実際にお話できたことは何よりの宝、挑戦する勇気をいただいてきました。前県議だという方と同席し、「あんまり秋田の街路樹が醜いから議会で質問したんだ。」というお話も聞けました。秋田にも骨のある男がいたのだなと、嬉しくなったものです。
こんなふうに、本来、家族との憩いに使うはずの時間を使っていろんな所に出かけました。それでいて、毎日のようにそんな話を家族やスタッフにしていましたので、みんなウンザリだったのではないかと思います(笑)。
同志との出会い
掲載から半年後、運命的な出会いがありました。庭誌168号の「作庭者の十字路」でともに掲載された千葉の高田宏臣さんから、思いがけなく共感のメールをいただいたのです。直接、記事に対しての声をいただいたのは初めてで、それまで得体の知れない孤独感の中に居た私には、闇の中の一筋の光のようなものでした。街路樹の姿を憂い、自らも同じような活動をされているとのこと、遠く離れた所に同じように考える作庭者がいることを知り、涙が出るほどの感動を覚えました。まさに、やっと同志に出会えた!という感じだったのです。思いを強く持てば、必ず同じ志を持つ同志に会えるということを実感しました。今でもあの時の感動は忘れません。
アジアやヨーロッパなど、海外での滞在経験が豊富な高田さんは、剪定だけの問題ではなく、広くまちづくりの視点から世界の中の日本を見ていました。故郷の街並を何とかしたいという、なんともちっぽけな私でしたが、こんな高田さんの考えに触れ、目から鱗が落ちた思いです。同じく露地を出発点としていることとともに、やはり志を持って真剣に作庭をする者は、自然や街並の環境にも同様に目を配っているのだと、自分は間違っていないのだと確信しました。
この時から、私のカバンの中には、どこに行くにも164号と168号が一緒に入っていました。いつ何時、誰にでも街路樹の話ができるようにです。専門誌に、自分の作庭観が紹介されたことは、「どこの馬の骨・・・」だった私には、信用という意味で大きな力になりました。
そして、この168号が掲載される直前、また新たな大きな出会いがやってきます。171号で掲載された、富山の河合耕一さんと長野の柳さおりさんとの出会いです。お二人とはほぼ同時に出会えました。ネットで情報を探しているうちに、柳さんのHPのエッセイ「悲しいケヤキ」の記事に出会ったのです。ようやく見つけた!という思いでした。すぐに連絡を取り、感動のお礼と私の活動をお知らせしました。
美味しいことは二度ある。柳さんの記事のリンクには河合さんが居られました。HPを覗いてびっくり、驚くことに庭誌で表紙を飾られた方ではありませんか。私のような無名が吠えても何も変わりません。なぜ庭誌に掲載されるような立派な作庭者の皆さんが行動を起こさないのかと、ずっと歯がゆい思いをしていたのです。作庭者として全国に名を馳せる方が、同じ思いを持って活動しておられたことは感激の極みでした。しかも、私のような、どこの協会にも属さない田舎植木屋と違い、全国組織の協会に入られながらも、堂々と自らの考えを公言し、仕事でも実践されていることの凄さ、口だけではなく実際に行動を起こしている先人を見つけた嬉しさ。
そして昨年9月、お二人の記事が171号に掲載、名実ともに最強の同志を得ました。私の小さなカバンが一冊分膨れ上がったのは言うまでもありません。翌日、役所の課長さんに話しに出向き、この一冊を市に寄贈しました。仲間が増えるほど心強いものはありません。たった一人で始めた街路樹運動でしたが、全国に熱い同志がいることを知りました。
街路樹は「枝打ち」なのか
全国に仲間が出来ていく中で、秋田の実情はどうなのだろうという思いもありました。個人庭の作庭が主で横のつながりの無い私は、県内の造園事情は全くわからなかったのです。ネットで調べると、秋田市内の協会などでは、「街路樹の都市景観を維持すること、街路樹剪定士の技術向上」を目的とした講習会が、実際の街路樹を使って開催されており、県内にも意識のある方がいることを知りました。その意識を広く県内全体に広めるためにも、是非継続していただいて、他の自冶体や協会外への参加の呼びかけなどもしていただけたら嬉しいなと思っているところです。
さて、新生になった能代市はといえば、以前と比べて多少小枝を残すような剪定になってきたように思いますが、まだまだブツ切りの感は否めません。ブツ切りについては賛否両論あるようですが、ここでブツ切りの是非について言うと、大木になった木を更新の意味で枝を落とすのはいたし方ない場合もあると思いますが、そうではない木を、無計画に住民の苦情のままにブツ切りにするのは違うのではないかというのが私の見解です。これはどんな樹種でも同じことだと思います。サクラなどは、「サクラ切るバカ」と言われるように、始めから枝を伸ばせるような広い場所を選んで植栽すると思いますが、イチョウもプラタナスもケヤキも、みなサクラだと思って植えたらいいのではないかと思っています。場所が狭いなら始めから大きくならない木を植えればいいだけのこと、木がどれだけ大きくなるかを知った上で、場所にあったものを選べばすむことです。景観目標に即した管理計画が立てられていても、いつどうなるかわかりません。最悪の場合、予算が回らなくて放置されても迷惑にならないように、樹種の成長を考えた植栽計画や管理計画がされていたら、街路樹もこんな姿にはならないのではないだろうかと、そんなふうに思います。
たまたま、ある市会議員さんに市の街路樹の事情や、私のこれまでの経緯をお話ししたところ、早速、市の担当課に問い合わせてくれました。いただいたお返事はというと、「イチョウやプラタナスは剪定ではなく『枝打ち』だと思っている」。秋田県人は正直です。「枝打ち」という言葉には思わず耳を疑いましたが、確かにその通りだと思いました。「剪定」ではなく「枝打ち」なら、あの街路樹の姿も納得できます。能代は全国でも有数の木材の街、秋田杉の産地です。言葉のあやだとは思いますが、これを言われた方は、街路樹も建築用材と同じ様に考えておられるようです。
能代市のスローガンは「水と緑の環境の街」、「環境首都」。一口に環境と言っても様々な意味合いがありますし、市の環境に関わる業務も多種多様、街路樹の管理などほんの一部にすぎないものですが、この程度の認識では美しい景観を持つ「環境の街」など作れるわけがありません。新能代市の志のレベルはこんなものなのかと、悲しくなった出来事でした。
悲しいケヤキ
そして、この出来事と時を同じくして、柳さんの「悲しいケヤキ」を地で行く出来事が、私の住む近くでも起こりました。
昨年の6〜7月に掛けて、旧町内の県道のケヤキ並木が数年ぶりに剪定されたのですが、小枝は残してはいるものの、かなりの強剪定でしたので、一ヵ月後には新芽が柳のように垂れ下がりました。この時期にこの剪定をしたらこうなるに決まっています。これから夏場の緑陰が必要となる時期に、なぜこのような剪定をするのか、理解に苦しみます。よく見ると、全ての木が剪定されたわけではなく、柳のような木に混じって手の入れられていない木もありました。手が入った所は住宅のある所で、多分、住民の皆さんからの苦情によるものなのでしょう。剪定から免れた緑濃いケヤキと、柳のような新芽の薄緑のケヤキが織り成すマダラ模様のコントラストが、しばらくこの通りを彩りました。
樹形は、道路と歩道、住宅側の枝がかなり強く切り詰められ、葉張りの無い細長いホウキ型になりましたから、当然十分な木陰は出来ません。実を言うと、このケヤキには数年前まで自分も登っていたのですが(当時は町の仕事)、今回の剪定と私のやった剪定とは正反対のやり方です。道路側は除雪車の支障にならないように切り詰めなければなりませんが、歩道側は、歩行者の通行に支障にならない高さの枝は詰める必要はないので、隣家に障らない程度に残していました。切り詰めも、必ず枝の分岐点で小枝を残しました。木と木の間も何の支障にもなりませんから、もちろん残します。側面から見ると縦長に近い形にはなりますが、正面から見るとケヤキ本来の樹形を維持できるような剪定を行っていたのです。側面から見る人はほとんどいませんし、制約の中でケヤキらしさを活かすにはこれしかないと言うのが私の考えでした。そんな剪定方針の下に3年ほど続けましたが、それから5〜6年経過した昨年、全く違うやり方で剪定されたわけです。どちらがいいのかは判断できませんが、樹形を維持しながら街路樹本来の緑陰を作るためには、私のやり方でよかったのではないかと、今でもそう思っています。それが、当時の役所側と話し合った結果の仕様でした。わが町の役所に、それをやらせてくれる担当者がいたことは誇りです。
市に問い合わせたところ、今回は県の仕事だそうですので、一度、その管理方針と景観づくりのビジョンを聞いてみたいと思っているところです。
また、昨秋、秋田駅前のケヤキがムクドリの大群の棲家となり、騒音と糞害に困った市がケヤキの枝を払って鳥を追いやったという事件がありました。本当に棒のようになったケヤキを見て驚きました。どうにもならない事情での緊急処置だったのだろうなと、市の方々のご心痛を察しますが、この一件は新聞やテレビでも報道され、賛否両論ありました。
「街路樹の将来を考える会議の円卓に、民間や、市や県や国と言った「枠」を超えて「知恵を持つひと」の参加を期待するのは難しい事なのか。木を知る人だけでなく道路を作る人、山を知る人、電力会社、鳥の生態を知る人、そして街路樹の身近に生活する住民…そんな人たちが集まって「知恵を絞る」場を持つ。閉ざされた部屋の円卓の周りに集うのではなく、問題となっている街路樹の周りに知恵を出し合う人々が立って初めて、現実的な打開策が打ち出せるのではないか。」
これは前述の柳さんの書かれた一文ですが、このケヤキとムクドリの騒動に、この言葉を思い出した私です。
この二つの「悲しいケヤキ 秋田版」、なにも秋田ばかりではないような気がしますが。
課や役所を超えた集まりを
写真のケヤキは、旧町の庁舎内(現能代市二ツ井地域局)にあるケヤキですが、前述の街路樹のケヤキとは違い、仕上がりも柔らかく、伸び伸びと気持ちいいほどに枝を張らせています。木の内部は、奇麗に枯枝や幹吹が外されていて、風の通る、風にそよぐ手入れがされています。
場所に適した所に植わり、適正な管理がされていれば、ケヤキも生き生きとその存在を示せます。そんないい例だと思います。
実はこのケヤキ、役所の職員の方が剪定されているのです。庁舎周りには数十本の黒松の仕立木もありますが、全てこの方の手になるもので、我々業者は時々そのお手伝いするだけです。
大きな役所に行けば造園の専門職の方も居られると思いますが、人口一万人弱のこの小さな町ではそんな余裕もありません。除雪も空調も木も電気も何でもやらなければなりません。本職の植木屋でさえ刈り込みしかできない人の多いこの土地で、職人さながらの透かしが出来る役人が、この町にはいるのです。予算の少ない事情はあっても、木に対する愛情と町を思う心がなければ出来ないことです。こんな方が役所にいることを誇りに思います。
この写真を撮らせていただくにあたり、庁舎を管理する課の課長さんともお話させていただきました(この課は街路樹の担当課とは違います)。役所の管轄の施設には、公園、体育館、公民館、老人介護施設等、緑の付随する建物はたくさんあります。それぞれ目的の違う施設で管理する課も違いますが、「緑」があるということでは共通しています。共通はしていますが、緑についての共通認識はバラバラですので、その時の予算や苦情に合わせてブツ切り剪定なんかが行われてしまいます。各課に一人でも木に対する知識や実技を持つ方がいれば、自分でやる時も、業者に発注する時も、無駄のない適正な仕様の発注や検査が出来ていきます。あの悲しいケヤキの街路樹も、この「透かしの出来る役人」さんがやれば、きっと上手にやるでしょう。現実的に課を超えた業務は出来ないと思いますが、そんな、「緑」の管理をテーマにして、課を超えた集まりを持てたら、街の緑はもっと素晴らしくなるのではないかと、そんなお話をしてきました。
課を超えて、役所も超えて、県と市がちゃんと話し合っていれば、あのケヤキも悲しい姿にはならなかったはずですから。
「役人にそこまでやられたんじゃ商売上がったりだよ!」なんて声が聞こえてきそうですが、木を知る、厳しい目を持つ役人がいるということは、植木屋が植木屋の技術を活かせる、誇りの持てる公共工事が出来ることに繋がると思うのですが。
二ツ井から能代へ、能代から秋田へ、秋田から日本へ
この二年間、自分なりに出来るところで動いてきましたが、今冬、そんな思いを自分の手で実現するチャンスをいただきました。自分の住む街(能代市二ツ井町)の街路樹(イチョウ)の剪定の仕事が舞い込んだのです。
依頼は「除雪に支障となる枝の剪定」で、ぶつ切りが5,6年放置されて荒れに荒れた木ばかりでしたが、今後の管理方針と剪定の仕様の確認の中で、私の意見を取り入れていただくことができました。前後の支障枝は詰めますが、基本的に枝先を詰めない透かし剪定で、夏季の緑陰を作ることを考えた剪定を行うというものです。電線はありませんので、芯梢も止めません。
市には以前、「参入希望の業者の腕利きを街路樹に登らせ、それぞれ思う一番良い方法で剪定させてみたらいい。そんな剪定をした理由を聞き、木に合った、街に合った美しい姿はどれなのか、一番良い剪定方法を街路樹の剪定の基準にすればいい。」と言ったことがありますが、自分の手で、自分が最良と思う方法を試すチャンスを得たのです。役所の方とは、一年通して枝の出方や伸び方を観察し、今後の管理計画を立てていこうと話し合っています。
剪定をしていると、近隣の住民の方々が続々とやってきます。お話を聞くと、やはり落葉の苦情がほとんどで、そろって言われることは「もっと切ってくれ!」です。要はブツ切りをやってくれというわけです。住民の方々一人一人に「ブツ切りは悪循環。木は切れば切るほど芽が出て枝が増えるし伸びる。だから枝を残しながら枝で抜いていく。これが一番落葉を少なくするやり方です。夏場の緑陰も確保しなければなりませんから、なるべく葉張りも残します。」と説明しています。ここは月の5日、10日には朝市が開かれて歩行者天国になりますから、緑陰は必要です。いちいち手を止めて木から降り、説明しなければならないのですから大変です。苦情で来る方に景観の話や木との共生の話をしても伝わりません。少しずつ少しずつです。それでも、こうやって説明することで、一人でも多くの方に街路樹に対する理解を広めることが出来ます。剪定の実際を見ていただきながら説明するので、考えようによっては一番効果的な伝え方です。そう思って、出来るだけ丁寧に話すように努めています。
人に話すということは人に伝えるということです。会う人が多ければ多いほど伝わります。これまでは、せっかく伝わった役所の方が移動で変わり、また一から始めなければならないことに腹立ちを覚えたものですが、役所の業務は多岐に渡りますから、変わられた部署にも緑に関する業務はあるはずだと、変わった先で活かししてくれればそれでいいと思うようになりました。課に新しい担当の方が来られたらまた話せばいいし、担当の方が休みで居なければ隣の人にも話す。合併で旧町の庁舎は市の地域局となり、旧市の職員の方も増えましたが、知らない方がいると言うことは、まだまだ伝えられる人がたくさんいるということです。移動でアチコチ変わられるなら、地域局の全員に伝えればそれですむ話しじゃないかと、本庁にも移動があるなら本庁の人全員にも話せばいいじゃないか、市の全ての職員に話せば全員に伝わるではないかと、そんなバカげたことを当たり前に考えるようになった私です。
現在、(旧)能代市街で、この剪定法が行われているイチョウは皆無です。この小さな二ツ井から能代を変える。能代が変われば秋田が変わり、日本へと繋がる。理想は大きく、この小さな街から日本を変えていこう、世界遺産白神山地の街能代が先駆けて、全国の手本になろうと、役所の皆さんと話しているところです。
全国の思いのある方へ
「木は切られることを望んでいません」。
これは、昨春お会いした茶庭師の方が言われた言葉です。震えるほどの感動を覚えました。手を入れたのかどうかもわからぬほど繊細な心遣いで意を尽くされた露地の手入れと、機械的にゴミを作るだけの心の無い街路樹の手入れ。どちらも、同じ造園の資格を持つ人たちの行う仕事です。
仕事とは「仕える事」と書きます。美意識のカケラも感じられない仕事は、いったい何に仕えるために行われるのでしょう。こんな、仕事とは言えない仕事をするためにこの道を選んだのではない、という若い方々は全国にたくさん居られると思います。発注者である行政や元受け業者のしがらみの中で、志を持ちながらも動けないでいる方々も居られるでしょう。行政の組織の中にも動けないでいる方はいるでしょう。市民の中にも、緑の恩恵を感じている方はたくさん居られるはずです。
日本全国どこの街でも環境宣言をしているのに、優れた造園人が集まる業界団体でも景観づくりが叫ばれているのに、なぜ街並の街路樹はこんな姿をしているのだろうか。不思議です。現状が厳しいのは誰しも同じ、自分の選んだこの道で、志を立てた頃の気持ちを忘れずに、植木屋の良心と誇りを持ち続けていけたら素晴らしいと思います。
庭や緑が好きな気持ちが夢や志へと変わり、やがて誇りや良心、使命へと進化していくのではないかと思います。「夢や理想を笑う人は老人」なんだそうです。私はまだまだ老人にはなりたくない。自分の住む街を誇りの持てる美しい「ふるさと」にしたい。自分の技術で地域に貢献できたら素晴らしい。それが出来ない現実なら、自分で動いて変えて行けばいい。悲観してあきらめていても何も変らない。あきらめて笑っているだけの老人で終わりたくはない。変えたいと思ったら自分が変って動けばいい。一人に話して伝わらないなら百人に話せばいい。百人で足りないなら一万人に話せばいい。口があるなら話す。足があるなら歩く。手があるなら見本を示す。そんな思いです。
全国の皆さんに言いたいこと、思いがあるなら、まず誰かに話してみましょう。家族に、友人に、同僚に、上司に、私のようにネットで知り合った仲間でもいいかもしれません。矛盾や疑問を感じるなら、自分で行動を起こしてみましょう。思いを持ち続ければ、必ずどこで繋がっていきます。
拡大する共感の輪。次代を担う若い造園人のために、美しい日本を蘇らせるために、市民の皆さんが快適に暮らせるために、この共感の輪、全国の皆さんで広げていこうではありませんか。
植木屋の良心と誇りを胸に、まちづくりの職人を目指して。