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庭園専門誌「庭」168号(2006年3月1日 建築資料研究社発行)の「作庭者の十字路(クロスロード)」という特集で、私の作庭観と庭づくりの様子が紹介されました。
秋田の田舎植木屋にとっては、専門誌に掲載されること自体夢のような話ですが、全国の皆様から寄せられた共感のお便りに励まされ、思いを新たにしているところです。
作庭者の十字路」というタイトルは、「作庭者と作庭者、さらに読者との出会いから新しい何かが生まれる事に期待を込めて名付けられた(前文引用)」というものですが、この掲載が縁となって、共に紹介された千葉市の高田造園事務所様を始め、全国各地の志ある作庭者の方々と知り合うことが出来ました。
本当に思いもよらぬ出来事で、まさに十字路そのものになったと驚いていますが、思いを強く持って踏み出せば素晴らしい出会いが待っているということを実感しました。
この良縁を大切にしていきながら、さらに、ここをご覧になる皆様にも、新たな出会いが生まれる「十字路」になりますことを祈念しています。
2006年7月19日 福岡 徹
今回の特集を機に知り合った作庭者の皆さんをご紹介します。
皆さん、高い志と技術を持つ尊敬すべき方々で、素晴らしい庭を生み出されています。優れた作庭者に共通していることは、モノづくりに掛ける熱い思いと共に、施主や自然環境に対する思いやりの心を持っていることです。
高田造園事務所さん(千葉県)
藤倉造園設計事務所さん(東京都)
庭 遊庵さん(京都府)
新樹造園さん(富山県)
北郷創庭舎さん(福島県)
また、こんな作庭者の方々に温かいエールを送る庭園設計士さんもおります。
工房ジネンさん (エッセイ 『「美しい絵」と現場の感性』『泥だんご』)
※文中の写真は記載されたものとは別のものです。
雪国秋田の庭はどうあるべきか。
秋田に帰ってからの十七年間、そんなことをずっと考えてきた。
鳥海石の石組や蹲踞、男鹿石の飛石に仕立木を合わせるという昔ながらの作りは県内各地で見られるが、ガーデニングの流行する現在でも秋田の庭の定番のような感がある。
帰郷した頃、東京で雑木を使った自然な庭づくりに親しんできた自分には、庭の構成よりも名石名木の存在感を重視する傾向の強い当地の庭づくりに違和感を覚えたものだった。
作庭観は作り手によってそれぞれ違うものだと思うが、自分の見た故郷の庭の多くは、石組や主木を重要視するあまり、伝いや蹲踞本来の作りが弱く、景と用のバランスが不自然で繊細さに欠ける庭というふうに映っていた。
蹲踞、飛石、竹垣を庭づくりの「三種の神器」と言うそうだが、当地でも灯ろうを含めた和風の庭にはそんなアイテムが付き物のように取り入れられている。
この「三種の神器」という言葉はあまりいい意味では使われないように思うが、当時の秋田には、その発生の元となる露地の作りでさえ、それを知る作庭者は以外と少なかったのではないかと思っている。
茶室を知らなくても家は建てられるが、和風の庭を依頼されたからと茶庭も知らずに安易に蹲踞を作ってしまったり、一級技能士が作ったという席入り出来ない露地などを見るにつけ、そんな故郷の庭のレベルにあまり良い印象を持てずにいた。
茶道家はそんな技能士を笑い、技能士達は茶道家を「庭を知らない」と笑う。
自分は技能士ではなく庭師になりたいと思っていた。
このころ、日々の仕事の中で感じていた疑問がいくつかある。
雪害を受ける雪国の庭に、頑丈に囲わなければならない庭木は必要なのか?
囲ってあげなければ枯死してしまうような木を植えるのはなぜなんだろう?
透かせば病虫害や雪害を最小限に抑えられるのに、なぜ分厚く刈り込む剪定法が主流なのか?
雪国に適応した建築が増える中、なぜ庭は変わらないのか?
そんな疑問や矛盾を解決してくれる唯一の手段が、地産の樹木や石材でその地の自然を映すように作るという露地の作庭法や管理法ではないかと思い、この手法を使えば、もっと地域の隠れた素材を活かせて、雪国の環境に適した本質的な庭づくりができるのではないかと考えた。
秋田では延段や石積などの細かい手仕事は敬遠される傾向がある。
秋田県人には、面倒くさがりで文化より見映えをありがたがるという県民性があるが、作り手や施主にもそんな風潮を感じていた。
ようやく施主了承を得ても材料が無い。庭師の需要が無いから問屋にも材料が無いし知らない。石屋の置き場の余り物を分けてもらって加工したり、砂利プラントを見つけては石の山を這いずり回る。
手頃な原石を見つけてきては手水鉢を掘り、手探り手作りで、自分の信じる庭づくりを行ってきた。
鳥海石の延段と手製の手水鉢
自分はまだ、この世界に入って二十年足らずの若輩に過ぎないが、自分なりの信念やこだわりを持って一生懸命庭と対峙してきたという自負はある。
それが、四十歳を境に、近年の住宅事情やガーデニングの流行など庭を取り巻く環境が激変する中で、様々な疑問が新たに沸いてきた。
自分はこれまで「三種の神器」と呼ばれる庭をきちんと作るというだけの基本レベルで満足していたのではないのか?京風の庭を秋田の素材で作っていただけではなかったのか?
作庭を創造と呼ぶのなら、自分は何か新しい創造をしてきただろうか?
地域の素材で作る庭づくりを売り物にして、ふるさと秋田のために何かしてきたか?
自分は自然の素材を地球から切り取って庭を作っているのではないか?
自然破壊をしながら自然のために何かしているだろうか?
自分の作る庭は本当に施主に喜ばれているか?自分は作庭者としてこのままで良いのか?
地産の石材で作った庭
以前、庭誌で秋田の庭の特集が組まれたことがあった。
「こんな庭ばかりでは若い人は集まらない。若い人も同じようにやっているのが現状か。」と評されてとても悔しい思いをしたことがある。
あれから十数年経った今、秋田の庭や造園はどう変わったのか。
業界の意識のレベルは変わったのか。
この間、白神山地が世界自然遺産に登録され、人々の自然環境に対する意識も各段に変化したように思うが、その意識は街並や公園、庭にも現われているだろうか。だとしたら、このブツ切りの街路樹の剪定や支柱ばかりが目立つ植栽のあり様はいったい何なのだ。
植えられた木には公共も個人もないはずだ。
ふるさと秋田のレべルはこれでいいのか。
庭師は庭ばかり作っていればいいのか。
人の仕事を陰で笑っていても何も変わらない。
自分は今何をするべきなのだ?
自分の仕事を突き詰めれば突き詰めるほどそんな思いが止めど無く湧いてきて、どうしようもなくなった。
自分が感じたこんな思いは、多分作庭に携わる者なら誰もが感じる壁のようなものではないかと思う。
そんな中で、抑え切れなくなる思いを吐き出させてくれたのが、昨年の、地元の街路樹の剪定に関する庭誌への投稿だった。
それがきっかけで役所などへの働きかけを始めたり、小さいながらも庭の会を作って若い人達との勉強を始めたり、白神山地への植樹に参加したりという形になるのだが、肝心の庭づくりでも、これまでの自分に無い新しい挑戦をすることが出来たように思う。
白神山地への植樹
創作は生みの苦しみ、庭づくりは葛藤の連続の中で生まれるもので、もがき苦しんだ果ての産物だと感じている。
自分の人格以上の庭は作れないと言われるように、今の自分以上の庭は出来ないし、妥協も未熟も全て自分の作る庭に現れる。
庭は作り手の人格を表す鏡だと思うが、鏡の中の自分の姿は本人にはなかなかわからない。
自分の未熟をあえてここにさらけ出すことで、庭鏡に映る今の自分を知りたいと思っている。
ここに紹介するのは、昨秋、白神山地の麓、秋田県藤里町の山間の集落に作った庭の記録です。お施主さんのために、そこにあるものを利用して日本的な田舎の庭を作ってあげたいと思いました。
私はどこにでもいる普通の植木屋です。自分の所の若い人を育てることや会社を維持していくこと、お施主さんの要望や限られた予算の中で質の高い庭を作るにはどうしたら良いのか、毎日がそんな苦しみの連続ですが、自分で選んだこの道で、大好きな庭と接していられる幸せを日々実感しています。
自分と同じような思いを持つ若い方は日本全国にたくさんいるのではないかと思っていますが、いつかそんな方々と思いを共有できたら素晴らしいなと思っています。
ここでは、そんな自分の作った拙い庭を、作庭当時に綴った日記をもとに紹介したいと思います。
昨日は、来月着工予定の庭の様子を見がてら、シンボルツリーとして残してもらった柿の木を剪定した。
「邪魔なら切ってください。」と言われた木だったが、この木からこの庭の物語が出来てきそうで残してもらった。
奥には大きな栗の木もある。
敷地は、柿のほかは何もない石ころだらけの更地で家の中からは庭は見えない。
物置小屋を解体した時に出てきた古い土台の石と、敷地の造成の際に出てきた玉石を、工事をした大工さんに頼んで寄せてもらっていた。
それが、柿の脇に無造作に積んである。この石と、これから土を掘り返して出てくる石で庭を作る。
この庭の材料は作り手の根気次第で無限にある。
ひたすら土を掘り返し、石を洗い、石を張り、石を積む。そんな仕事になるだろう。
この庭は、十ヶ月前に図面を提出してOKは出ていたが、こちらの都合で半年待っていただいた。
土台の石は雨落の縁石に利用、降り蹲踞風のバードバスのある回遊式の庭を考えていた。
作り手としてもとても面白い仕事なのだが、何度か足を運ぶうち、本当にこれで良いのかという疑問が出てきてしまった。
雪深い山村の集落の家に、こんな庭はきれいすぎるんじゃないか。
もっと、柿と栗、背景の山々を取り込むべきではないか。
自分の考える庭は、おばあさんのここでの生活に必要な庭か。
飾りの庭は要らないんじゃないだろうか。
この柿の木のなんとも言えない田舎臭い素朴な存在感をもっと活かしてやりたい。
もう着工直前だというのに、そんな疑問が出てきてしまった。
昨秋、始めての打合せの時、落ち葉で焚き火をしていたおばあさんが、遊びに来た近所の子供達に栗の実の取り方を教えていた。田舎でも今ではあまり見ることのない、そんな光景がずっと頭に残っていた。
「この集落にも子供が少なくなりました。」と言った言葉が耳に残っていた。
草取りの疲れを癒し、ひと休み出来る庭。
栗や柿を食べられる庭。
落ち葉でイモを焼ける庭。
懐かしいご近所の方と語らい、子供達と遊べる庭。
お月見のできる庭。
おじいさんの植えた柿の木の下で、家族が楽しく笑える庭。
昔ながらの田舎暮らしの出来る庭。
この庭は家からは見えない。
家の中から座って見ることの出来ない庭を華美に飾り立てる必要はないように思えてきた。
使う庭、遊ぶ庭、暮らす庭、自然と同化する庭。
回りの山々を庭に見たてたらどうだ。
背景の自然の景色や、奥にある栗の木を庭として眺め、この庭自体を縁側にしてみたらどうだ。
庭を山を見るための、故郷の自然を感じるための縁側にしたらどうだ。
そんな思いが今湧き上がってきている。
今日は、意を決して、おばあさんのお宅にうかがった。午前中、修正案のスケッチを描いたのでそれを持参した。自分で最良と思って出した設計を、自分の心変わりで直させてもらうのは非常に心苦しい。でも気持ちが変わってしまったらどうしようもない。見映えのする綺麗な材料は止めて、とことんこの土を掘り返してここの石を使う。心変わりではなく進歩と考えて、どうせならこだわれるだけこだわろうという気になった。新しいものを作りたい自分と、施主が納得してるならそれでいいじゃないかという自分がいる。でも作りたい。作ってあげたい。駄目でもともと、何もせずに妥協してしまうのが一番良くない。、妻にも事情を話した。お盆前、着工の遅延の謝罪に出向いた時、妻も一緒だったので、このおばあさんがどんな人か知っていた。「普通の人だったら、もう他の業者に頼んでいるわね。こんなに待ってもらったんだから、絶対良いものを作ってあげなくちゃね。」絶対良いものを作ってあげたいから、あえて直すのだ。おばあさんに修正案のスケッチを見てもらって、なぜ修正したいかの訳を一生懸命説明した。おばあさんは、「お任せします。石ころばかりで難儀をかけます。骨の折れる仕事をさせて申し訳ありません。」それだけだった。有り難くて有り難くて、嬉しくて嬉しくて、申し訳なかった。ひとつ肩の荷が降りたような気がした。よしっ!これで気持ちが入る。後は、全力でいい庭を作るだけだ。
昨日の土砂降りとは打って変わり、今朝は気持ち良いぐらいの秋空が広がっていた。現場に向かう途中、正面に見える藤里駒ケ岳の山の形が、今日はやけにはっきりと見える。 町のいたる所にノボリが見える。今日はこの辺りのお祭りだ。山に駒の形が現れる頃に田起こしが始まり、祭りで駒踊りが舞うと、もう稲刈りの準備。そんな中、いよいよ今日から庭づくりに取りかかった。設計変更にともなって、御影の杯形の水鉢を手持ちの古い石臼に変えてもらった。見る庭から使う庭に変わるので、水鉢への給水も筧式から自噴式に変えた。敷地は石ころだらけなので、まずはバックホーを使い、木を植えられるだけの深さに掘り返し、土中から出てくる石を寄せていく。泥だらけの石を洗って、石積みや石張り、雨落ちに使う。整地と石の選別、洗い方に二、三日は掛かるだろう。一年間お待たせしてしまった仕事、どうせなら思いっきり手間ひまかけて作ってあげたい。
庭づくりも三日目。バックホーで一・五mほど天地返しして、出てきた石を寄せる。上側の砂利の層を底に、底の黒土を上に出していく。この作業に2日。水鉢の排水は家の下水管に繋ぐ予定だったが、思ったより石が出てきたので、暗渠を作って自然浸透させることにした。昨日、偶然、こちらのお宅に古い水瓶を見つけていたので、今日、「庭に使ってみませんか。」とお勧めした。瓶と石が揃って暗渠を作るとくれば水琴窟だが、図面にも予算にも無いことだったので一晩考えた挙句、今しか出来ないことだからと思い、やってみることにした。買わなくても材料は揃っている。天地返しのついでに穴も掘れる。次はいつ出来るかわからない。少しぐらい手間が掛かっても形として残したい。ここは子供達の遊び場、ご近所jの方との語らいの場、「庭の縁側」でもある。そんな縁側にまたひとつ楽しみが増えるのだ。
カメに穴を開け、水音を試す。土留めを兼ねて井戸枠を入れたが、その下部に敷地から出てきた手ごろな石を洗って敷き詰める。砕石を敷いて平らにした上にカメを乗せる。カメと井戸枠の間にも石を詰めていく。泥のついた石を一個一個洗いながら詰めていくので捗らないが、一つ石を洗って詰めるごとに響きが変わるかと思うと楽しみでもある。蹲踞ではないので、以前作った露地の蹲踞とは外観がかなり変わる。今日は並行して、土台石と自然石を組み合わせて石のベンチを作った。これも図面にはない。行き当たりばったりのようだが、あらためて素材を前にするとそれまでこう使おうと思っていたイメージがまた変わる。自分で考えた設計でも、より面白い使い方が閃いたらそちらを採用する。だから現場は面白い。だから庭づくりは面白い。設計する時も悩むが、作るときもまた悩む。一服中は常に腕組みをしてしまう。悩まないと素材に失礼だという気がしてくる。素材を活かさなければならない責任感と、明日はどうなるかわからない不安と楽しさ。毎日が悩みの連続だが、それが楽しい。
いよいよ水琴窟のカメも埋まり、その上に米つき臼を利用した手水鉢を据えた。完成した水琴窟の音を試し聞きする。
この臼の水鉢は、上部が平らで四角い縁が付いているので、角の部分には湯呑や缶ジュースなどが置け、板を乗せればテーブルにもなる。夏にはスイカやトマトも冷やせるだろう。回りには、土中から出てきた石と、昔の土台石を利用して石のベンチを作った。ご家族だけでなく、ご近所の方々との団欒の場にもなる。庭は年々成長するが、庭とともに家族も成長する。家から巣立った子供達も、いつか自分の子供達を連れて家に帰ってくるだろう。ふるさとの家に帰れば庭がある。おじいさんのいす。お父さんのいす。間には子供達のいす。そばで見守るおかあさんとおばあさんのいす。家族の成長とともに、座る場所も変わるだろう。 昔座ったいすを見て、子供の頃を思い出すかもしれない。いすが足りないぐらいの人が集まり、笑い声が聞こえる庭。設計変更したのは、子供が大好きな優しいおばあさんのために、そんな庭を作ってあげたくなってきたからだった。家族がここに集って過ごす様子を想像しながら、ベンチの形や高さを変えた。
天地返しで底から出てきた赤土が余った。低い箇所に盛って整地しているが、どうしても余ってしまう。捨てるか、他に使い道はないのか。時々思案しながら土の盛りを眺めていると、なんとなくこの土の山が面白く思えてきた。試しに、この土の盛りで細長いなだらかな稜線の山を作ってみた。なんとなく、背後にそびえる白神山地を思わせる。この土の山と白神山地を呼応させたらどうだ。石積では少しくどい気がする。土塁はどうだ。土の形を活かして土塁を作り、地苔を張りつけてみたらどうだ。しばらく見ているうち、この三日月型の山にもベンチを作ってみたくなった。月の曲線に合う台石がちょうど2枚有ったので、それを組み合わせ、土の中からベンチが飛び出ているように据えた。月の山を背もたれにした腰掛待合のようにも見える。整地をするとまだ土が出るので、後方にもう一つ月型の土塁を作ることにした。奥行きのある庭は単調になりやすいので、何かで穏やかに仕切りたいと思っていた。竹垣も生垣も和風に見えるし硬い。この2つの土塁が3つの庭の境になる。初めてやってみたが案外面白い。白神のブナの森と苔の森。苔張りは次の雨を待つことにした。仕上がりが楽しみだ。
水琴窟のモルタルも固まり、一服の間ベンチに腰掛けて試し聴きする。子供用の低いいすが一番良く聞こえる場所だ。
天気も上がり、いよいよテラスの石敷きに入った。昔の建物の土台に使われていた石だが、大谷石に似た地産のゼオライト系の石。柔らかいので侵食には弱いが、加工しやすいので昔からこの辺りでは使われていた。サイズもちょうど大谷石ぐらいだが、厚みがあるので二人で持つのがやっとのものもある。テラスは円形にしようと考えていたが、この石の形を活かしてランダムに敷くことにした。地盤が固いので、バックホーである程度土をすき取っておいたのだが、みな厚みも長さも違うので1個づつ合わせて据えていかなければならない。外側を土台石、水鉢周りは一段下げて土中から出て来た玉石で畳むことにした。草取りに精を出すおばあさんが、道行く人に「いつでもここで休んでいってください。」と声をかけている。そんなおばあさんのやさしい気持ちを庭に表してあげたい。そんな思いで、不特定多数のいろんな年代の方に楽しんでもらえるようにと、いろんな趣向を考える。なんだか公園のような庭になってきた。子供のいすに座って、昨日作った三日月のベンチを眺めていると、雛壇のようにも見えてくる。今度は雛壇に座ってみる。テラスの真中に立って覚えたばかりの歌を歌う小さな子供の姿が思い浮かんだ。この庭にはそんな微笑ましい光景も似合う。いろんな人がそれぞれの思いで楽しむ。そんな憩いの場になって欲しいと思う。
十四日目。昨日、石臼の水鉢の内側に色を塗ったが、なかなか良い色が出なくて試行錯誤した。この水鉢は年代物なのか、少し水漏れがある。筧式だと水琴窟の音がかき消されてしまうので、底に穴を開けて自噴式にしたのだが、穴を埋めるついでにモルタルで少し上げ底にした。これで水漏れも防げるし、水穴が浅くなるので掃除もしやすくなる。
石臼の底は、目立たない色にして自然の水の色を活かすか水の色を強調した色にして楽しむかで悩んだ。年代物の石臼と同じ色を出すことは不可能だし、色を塗ること自体に違和感が出るのではないか。どうせならその違和感を楽しんだらどうか。ここは子供達の遊び場でもある。子供の好きな色にしてみようと思った。塗りが乾いたので早速水を入れてみる。ブクブクと湧きあがってくる水の様子が面白い。おばあさんから、「これも使えたら使ってください。」と言われていた石があった。見ると、拳大の穴の開いた天然の水掘れ石。どう使おうかとさんざん考えた挙句、水琴窟の排水溝の前に落ち着いた。石臼から柄杓で汲んだ水をこの水掘れの水鉢に入れ、そこから溢れた水が水琴窟に流れ落ちると言う寸法だ。ちょうど石臼に水を張ったところで一服。お茶を持ってきてくれたおばあさんが、水鉢を見て言った。「まあ、空が映っているわ!」嬉しそうに何度も空を見上げる姿にホッとした。実は、おばあさんには内緒で水鉢を空色に塗っていた。
テラスの石張りは、丸くて厚みのある川石が多いので苦戦している。いつもの延段とは少し違えて、大き目の石を多く使って少し野暮ったく畳んでみたいと思っていた。丸みのある肩のない石も柔らかみがあって面白い。苔目地にしようと思ったが、石の厚さと縁の丸みを活かして深目地にしたほうが、この石には合うような気がする。雨の日には土塁の苔張りをする予定だった。水を含んだ月山の土塁を、苔が付きやすいように鏝でなでてドロドロの壁にし、裏庭から苔を剥いできて張りつけていく。ただ土に生えていた苔が形になっていく様子をおばあさんが感嘆しながら眺めている。土の盛りがだんだん苔の森になってきた。月の山から飛び出すように据えたいすも、背景が色付いて活きてきた。ようやく苔の森が完成。苔の森とブナの森の対比が見たいと思ったが、今日の白神は雨に煙って見えなかった。
今日は、土塁の脇に、テラスから後ろの庭に続く飛石を打った。見る人がどう見るかは別だが、自分の中では和風の庭にはしたくないという意識があるので、川石の飛石を、わざと縦使いにして打った。これまでは、「飛石は横に使い、千鳥でなければならない」という頭でやってきたからかなり抵抗があるが、「歩ければいい。バランスやリズム感が良ければいい。」ぐらいの気持ちで打っていった。自由で気軽な打ち方のようで、やってみると露地の飛石の打ち方などよりもかなり気を使う。昔の自分が見たら、距離稼ぎの素人の打ち方だと思うかもしれない。飛石の鉄則はきちんと歩けることというのは変わらない。足を変えることなく歩けることには十分気を使ったので、それで良しとした。
庭づくりも終盤、一ヶ月近くの間、毎日のように石ばかりを相手にしている。腰も腕も疲れてきている。石仕事は大好きだが、この残った石の量を見ると、少しだけうんざりする。当初は駐車スペースにするはずだった箇所も庭に使っても良いことになったのは嬉しいが、その部分は天地返しをしていないので、整地するたびにまた石が土から顔を出す。正直ため息が出るが、考えてみれば、既存の庭の改造でもない限り、現場で材料を調達できる庭はまずない。いつもなら、家の周りをぐるぐる周って、庭に使える石がないか探して回るが、今回はそんな必要がない。有り余る石をどう使おうかという悩みはとても贅沢なことだ。既存の材料で庭を作る時は、「あるものを見繕って作るのだから仕方ない。」というところに逃げてしまいがちだが、ここでは、作り手の自由な発想力と根気次第で、庭の可能性は無限にあるのだ。この幸せをかみしめなければならない。明日、この石積が出来れば石仕事は終了。散らばった石を片付ければ庭の形が見えてくるだろう。もう腰が壊れそうだが、もう一踏ん張りだ。疲れが報われる日も近い。
先週に続いて、今週も土曜日は雨。結構な雨だったが、出来れば今日中に完成させて、連休の間、出来たばかりの庭をご家族に楽しんでもらいたい。雨が強く降ったおかげで土の表面排水の様子がよくわかった。昨日整地を終えたばかりなので水の流れが気になっていた。良い具合に地模様をとったつもりだったが、苔で水の流れが止められて水たまりになっている箇所があった。水の流れに合わせて、苔と砂利の地模様の様子を少し修正した。砂利敷きを終えてかたづける頃には6時を回っていて、辺りはもう真っ暗になっていた。おばあさんに完成の報告をする。「随分と難儀をかけました。この家にお嫁に来て何十年になりますが、これで私もこの家に形を残せます。孫も見に来たいと行ってくれました。」ありがたい言葉だ。仕事中、水琴窟の前のベンチに座り、雫の落ちる音をずっと聞いているおばあさんを見て、設計変更して本当に良かったなと思った。作り手と施主、お互いが心から満足し、「喜び」や「歓び」を共有できる庭はそうあるものではない。これまでの自分にない新しい試みを実験し、次から次へと出てくる石ととことん付き合い、弟子達ともども頭も身体もクタクタになったが、苦しんだ分だけ「喜び」や「歓び」を感じることが出来た。この「よろこび」こそが、職人としての真骨頂、庭師として生きる醍醐味なのではないかと思う。一ヶ月掛かった庭造りがようやく終わった。