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「前」

2011/03/08

庭誌の「作庭倶楽部」というページには、日本各地の作庭者の皆さんの庭への思いが紹介されている。
その中で心に残っていた言葉に「作庭には哲学の有無、浅深、厚薄のすべてが現れる。それが腕前。」というのがあった。
東京の庭師、安諸定男さんの言葉だ。
昨年、この安諸定男さんの個展と作庭された庭を見に東京は湯島まで出かけ、そこでこの言葉の意味を知った。

 

腕前という言葉を使ったフレーズで思いつくのが「おまえの腕前を見せてみろ!」。
この場合の腕前とは「腕」のことで、「あなたの技術を見せてください」ということだと思っていたが、なぜ腕に「前」という言葉が付くのかまでは考えたことが無かった。
ちなみに、「腕前」を辞書引きすると「巧みに物事を成しうる技能。技量、手並み」などと出てくる。
「腕」だけだと「物事を行う能力」。
腕と腕前の違いは「巧み」かどうかということになるのか。

ついでに「前」という言葉も調べてみる。
「前」という言葉には「神や貴人への尊敬」という意味があった。
巧みの技を持つ人は匠と呼ばれて尊敬されるから、腕前にはそんな意味もあるのかも知れない。
また、「前」には五人前とか半人前とか、「相応する分量や程度」を表す意味もあるとのこと、そんな意味での「腕」と「前」を合わせてみると、「物事を行う能力のレベル」ということになるのか。

安諸さんの捉える「腕前」は、「腕の前にあるもの」という意味だった。
技能の前にあるものとは何か。
技量の前になければならないものは何か。
それが、作庭に対する哲学であり、作った庭には、作庭者本人の心も技も全てがさらけ出されるということなのかもしれない。

 

ここで「剪定」の話。
剪定よりも手入れという言葉のほうが温かみがあって好きだが、剪定にも何か意味がありそうだ。
そういえば、剪定の「剪」は「刀」の上に「前」と書くが、この植木屋の刀(鋏やノコギリ)で木の人生が大きく変わるから怖い。
剪定は、「刀」を手にする「前」に木の「定め」を考えてあげなさい、ということかもしれない。。
刀を持つ前に必要なのはやはり、「腕の前にあるもの」のような気がする。
手入れした木姿にも植木屋の心や技量がそのまま現れるから。

 

鋏や鋸を手にするには、植木屋としての心構えが必要。
心構え。心が前。
やはり技よりも先に来るのは「心」…。

 

木鋏

 

写真は、昨年、地元の鍛治屋さんに打ってもらった木鋏。
鋏には「正」とい刻印が彫ってある。
「正しい心で木と向き合いなさい」、鋏がそう語りかけてくれている。

 


 

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