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「富根に嫁いで」

このエッセイは、地元の公民館広報誌に掲載された妻の手記です。今年で17回目、毎年恒例の連載?ですが、風習の違う土地に嫁いで苦労したことや戸惑ったこと、楽しかったことなどを書いています。当然、苦労をかけている張本人の私のことも出てきますので、お楽しみ下さい(笑)。
「富根」は私の住む地域の地名で、町内には富根小学校がありますが、最近、都会に出られた卒業生が私のHPを見つけて、「懐かしい」とお便りをいただくこともあります。そんな方々にも、故郷の今をお伝えできればいいなと思います。

 

 

富根に嫁いで

 

私が生まれ育った故郷は、青森県西津軽郡の深浦町です。
縁あって主人と知り合い、6年前に駒形に嫁いで来ました。
実家までは車で1時間半で行けますから、距離的には富根から秋田に行くのとほとんど変わりませんが、主人の話では、子供の頃、海といえば八森で、深浦はめったに行けない所、子供心に「憧れのリゾート」というイメージを持っていたということです。
実際に住んでいた町がリゾートと言われるとなんだか可笑しいですが、今まさに「リゾート白神」という列車が走るようになり、驚いているところです。

 

秋田はお隣、同じ東北ということで、言葉の苦労はほとんどありませんでしたが、私は海育ちなので山と田んぼの広がる光景はとても新鮮に思えました。
実家周辺は、山からすぐ海なので、広い田んぼや平地が少ないのです。
地形的に、広い庭を持てるほどの敷地のある家も少ないので、庭師の家に嫁ぎ、主人の作る庭を見て回る度、土地柄の違いに驚いています。
実家では、富根から見る白神山地とは反対側の景色を見ていたわけですが、世界遺産に認定されるまではそれほど興味があったわけではありませんでした。
主人は山の木を使う自然な庭を作るので、私もいつのまにかそんな里山の木に目が行くようになってきたのですが、この身近な里山の景色が、あの白神山地へと繋がっているのだと思うと、とても有り難い気持ちになってきます。
深浦は漁師町なので、何かというと魚です。
こちらで山菜を干しているような感覚で庭先にイカやホッケが干されていて、三度の食卓に並ぶのは、やはり海の物です。
戸惑うほどではありませんが、そんな意味では食生活も少しは違うでしょうか。
津軽と秋田の言葉は、実は(かなり)微妙に違いますが、たまに里帰りすると、子供が「まいね」などと津軽弁になって帰ってきます。
津軽弁の「まいね」は、秋田弁の「やざね」とか「やちかね」にあたるそうですが、お祖母さんなどと話していると、時々わからない言葉が出てくる時があり、それもまた新鮮です。

 

隣県でも、海と山、津軽と秋田では、人の考え方も慣習も違いますね。
冠婚葬祭などもかなり様式が違っていて驚きます。
青森では、結婚式のほとんどが会費制でしたが、こちらではご祝儀制、そんなところにも土地柄を感じます。
また、秋田は葬儀の仕方なども随分と丁寧だなという印象で、故人を偲ぶ心、家族ばかりではなくご近所、地域の方々との日ごろのお付き合いの深さを感じています。
面白いことに、こちらで「秋田の一っつ残し」という言葉を耳にしましたが、これは津軽にもあることで、青森ではこの現象のことを「津軽衆」と言います。
白神山地なども、県を境にして入山規制なども違い、そんなところにも県民性を感じますが、遠慮深いということでは、両県とも似ているかもしれませんね。
いつぞやの白神市の名称問題ではいろいろと物議をかもし、実家を行き来するたびに、主人も私も悲しい思いをしました。
自然は太古の昔から変わらぬ営みを続けているだけなのですが、変わったのはそれを利用する人間です。
この素晴らしい自然を共有の財産として、両県とも仲良くしていければいいなと思います。
私が富根にお嫁に来て津軽と秋田が繋がったように、名実ともに、白神山地が両県を繋ぐ絆になってくれればいいなと、そんなふうに思っています。

 

昨秋、主人に誘われ、5歳と2歳の子供と茂谷山の周辺を散策しました。
ドングリを拾ったり、アケビを採ったり、とても楽しいひと時を過ごせました。
残念ながら子供が小さいので山には登れませんでしたが、昨春30年ぶりに登ったという主人の話では、山頂からは男鹿半島まで一望出来るそうで、下の子がもう少し大きくなったら是非登ってみたいと思います。
茂谷山は米代川とともに、富根小学校の校歌にも歌われるほどの、当地の名勝で地域の方々のシンボルだと聞きます。
子供たちとドングリを拾った場所も、富根小学校の学習林でした。
以前、主人から学生時代の話を聞いた際、「あなたの心の原風景を描きなさい。」という美術の課題で、堤の湖面に映るオニギリのような茂谷山を描いたという話を思い出しました。
茂谷山の裾野、堤の上流には、スプライトのようにキラキラ光るきれいな小川があるそうです。
私にとっての深浦の海はエメラルドで、いつまでも心に残る光景であるように、ここで生まれ育った地域の方々には、それほど思いのある山なんだなと思いました。
この子たちが小学校に上がる頃には、町内の小学校も統合になり、その校歌も歌えないままに終わるのは寂しいですね。
今の小学校は、ちょうど主人が6年生の時に出来たそうで、旧校舎と新校舎の両方で学んだそうです。
在学中に創立100周年を迎えたそうなので、とても感慨深いものがあるようです。
祖父、父、主人と3代通った学び舎ですが、この子達は新たな場で学ぶことになるのでしょう。
この茂谷山もまた、旧二ツ井町と旧能代市の境にあります。
今回の合併は、この山が繋いでくれたのかもしれませんね。
奇しくも、祖母は檜山、母は能代市街の生まれですから、2代に渡って、この山がこの家を繋いでくれたことになるのでしょう。

 

深浦ではそれなりに快適な生活を送れておりましたが、日々の生活の中で唯一不便と感じていたことに、そばに大きな専門病院がないということがありました。
小さな町なので大きな商業施設などもありませんが、遊びはドライブがてら楽しめるので不便とは感じませんでした。
救急車などは、1時間以上離れた能代市や五所川原市の病院まで向かいますから、病気の時は本当に大変です。
入院施設のある専門病院が市内にあるというのは、とても心強いことです。
私は二人の子供とも市内の病院で出産しましたが、どちらの時も入退院を繰り返しましたので、本当に有り難いと感じました。
こちらでは、子供のちょっとした病気などでも、自分で車を走らせればすぐ行けますし病院も選べますから、そんな意味ではとても安心して暮らせています。
私が風邪を引いた時などは、富根の診療所にお世話になっております。

 

津軽といえば雪深いイメージがあると思いますが、海岸部の深浦は比較的暖かいので、雪の量も違います。
昨冬の大雪は大変でしたね。
冬場の雪寄せなどもこちらほどではありませんが、いまだに通年で出稼ぎに行かれる方が多くて、雪が少ないとはいえ、雪の始末は女子供の仕事でした。
若い人が働ける職場があること、家族揃って暮らせるというのは、とても素晴らしいことだなと感じています。

 

駒形の人たちはみな親切で、とても幸せに暮らせています。
仕事と子育て、家事に追われる毎日で、地域の方々とのお付き合いもなかなか出来ないでいますが、今回いただいた寄稿のお話は、私と富根の皆さんを繋いでくれるいい機会になるのかなと、有り難くお引き受けいたしました。
お声掛けいただいて、本当に感謝しております。
今年はどんな年になるのか、また子育てと家事に忙殺されることは必死ですが、子供たちの成長を楽しみに、家族みな健康で仲良く暮らせたらなと思います。
こんな私ですが、皆さま、どうぞよろしくお願いいたします。

 


 

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