「柿の木の下で」

 

柿の木の下で

(2013年撮影の庭)

 

敷地の土をひたすら掘り返し、そこから出た石でつくった庭です。切らずに残した柿の木も成長し、テラスに木陰を落とすようになってきました。土中に埋まっていた石も地上の空気に馴染み、色を変えてきています。白神山地の山間にあるこの庭も、作庭後8年が経過。地苔が増えるごとに庭の落ち着きも増し、時間が庭を育ててくれているようです。

2005年10月作庭 秋田県藤里町

 

 

柿の木の下で

 

柿の木の下で

 

柿の木の下で

 

柿の木の下で

 

柿の木の下で

 

 

 

2005年作庭当時の様子

「柿の木の下で(2008年9月1日発行 建築資料研究社「庭」183号 作品解説より)」

 

柿の木の下で

 

こちらの庭は、世界自然遺産白神山地のふもと、秋田県藤里町の山間にあります。下見で訪れた時、石ころ混ざりの土地はスコップも刺さらないほど硬く、敷地には解体した物置小屋の土台だった石と、土木工事の際に出た玉石が山のように積み上げられていました。ご依頼は「この石を使って庭を作れるでしょうか。」というものでしたが、作庭中も土を掘り返す度に石が出てきて、4t車で10台分は出たのではないでしょうか。土から湧いてくる石を次々と洗い、選び、敷き、積んだというような、そんな庭づくりでした。

施工前

施工前

土を掘り返して出てきた石たち

土を掘り返して出てきた石たち

 

この庭のシンボルは、庭の中央にある柿の木と、背後にある大きな栗の木です。これまで果樹を庭の主木として取り入れたことはありませんでしたが、柿や栗にはなんともいえない田舎の雰囲気や日本的な懐かしさを感じます。日本庭園の伝統技術は用いますが、和風でも洋風でもない土着の庭、敷居の高い日本庭園ではなく日本的な庭をつくりたいと、この柿や栗、背後にそびえる白神山地を見て、そんな思いを持ちました。

庭は居間に面していますが、家の中から庭の様子は見えません。それならば、この柿の木の下に腰掛けて栗の木や山を眺める庭にしたらどうだろう、この庭を、ご家族やご近所の方が憩える「縁側」にしたらどうだろうという思いで、テラスとベンチをつくりました。ベンチは、それぞれに高さや形をかえてありますので、子供からお年寄りまで、様々な年齢、体格に対応できるようにしています。

居間の出窓から見た庭

居間からは、立ち上がらなければ庭が見えない。

テラスを縁側に見立て、栗の木を眺める

テラスを縁側に見立て、栗の木を眺める

 

また、集う方々の楽しみの一つとして、テラスの中に昔の米搗き臼を置き、水琴窟をつくりました。土中に仕込んだ水瓶は玄関先の傘立だったもの、水受けは台所にあったすり鉢、瓶周りに入れたゴロタは現場から出た石ころです。
石臼の前にはもうひとつ小さな水鉢がありますが、これは裏庭に転がっていたものでした。蹲踞ではないので、手先を清めた水を使うのではなく、この小さな水穴に柄杓で水を入れ、そこからこぼれた水で音を奏でる、そんな寸法です。柄杓もこの家にあったもので、壊れた柄の部分だけを作り直しました。この赤いペンキが、いい味を出してくれています。なぜ赤いペンキがついているんだろう?なんて、ここに座ってそんなことを考えるのもまた、楽しいのではないかと。庭にこんなものを使うのは邪道かも知れませんが、ここは田舎の庭です。格式ばってもしょうがありません。この気取りの無さが庭の敷居を低くし、みんなが気軽に集まれる安心感を醸し出すのではないかと思っています。

水鉢は縁が広いので、湯呑や缶ジュースなども置けます。秋田の方言には「がっこ茶っこ(漬物とお茶という意味)」という言葉がありますが、これは漬物が豊富な秋田ならではの言葉で、漬物をお茶請けに、縁側などで気軽に語り合うことを言います。ここは、そんな「がっこ茶っこ」の庭でいいのです。

井戸端

テーブルにもなる石臼

石臼回り

静かに音を奏でる自噴式の「水琴窟」

 

翌年、残った石で、今度は栗の木の前にテラスをつくり、裏庭で見つけた水掘れ石を降り蹲踞風に組みました。水鉢の脇の石は、湯桶石でも手燭石でもなくて、ここに腰掛けて水をすくうために座る石です。そんな意味では、役を持たせた石なので「役石」ということになります。「蹲踞風」と言うとあまり聞こえがよくありませんので、「水腰掛」とでも言ったほうがいいでしょうか。ちょうどよく、水鉢周りにはミズ(ウワバミソウ)も生えていますので・・・

同じ道を戻らずに通り過ぎていく「降り蹲踞」というのもまだ見たことがありませんが、蹲踞のように見えてもまったくその役を果たさず、しかも飾りではない、というのもまた、面白いかなと思っています。水鉢を下げたのにも意味があって、山沢の雰囲気を出したかったのと、前方から見た時に石臼の水鉢と重ならないようにということもありました。庭に小さな驚きがあると楽しくなりますが、なんだか水音がするなと近づいて行ったら、そこにも水があったという感じです。

柿のテラスの手水鉢は自噴式にしましたので、こちらは筧使いになっています。近くを流れる川に行けば流木もあるのですが、この家には栗の木がありました。そこにあるものを使うというのは生活の中での自然な行為です。そんな考え方でいけば、その地に根ざした土着の庭になると考えました。結構長持ちすると思いますが、朽ちたらまた剪定した時の枝で作ればいいのです。

実はこのテラスには、残雪の白神山地のブナ林で見た光景を表しました。テラス状になった白い雪の間から顔を出す露頭岩の景色がずっと目に焼き付いていて、ここにそんな光景をつくってみたいと思ったのです。テラスの中に石組があるというのもあまり見たことがありませんので、これもまた常識外れなのではないかと思いますが、別に、テラスの中にボコボコと石があったっていいではないか、石を避けて歩いたり、疲れたらその石に座ったらいいではないかというような発想です。

二つのテラスは、どちらも苔の山を背景にしていますが、縦に長く奥行きのあるこの庭を柔らかく仕切るにはどうしたらいいだろうと考えていたところ、なんとなく置いていた残土の山を見て、この形を思いつきました。
大きな栗の木の下は、この庭で一番涼しい所です。二期工事は7月の暑い最中でしたが、一服の時はいつもここに来て涼んでいました。ここには、以前に倒したという古木の幹が無造作に横になっていましたが、一番涼しい所にベンチが無いというのもおかしな話だと、そばにあった短い幹を台にしてつくってみました。つくったというよりはただ置いただけ、仕事としてつくったのではなく、仕事が終わってからなんとなくつくった簡単なものです。こんなことを言うのもおかしいのですが、手の掛かった石仕事より、このベンチのほうが気持ちがいいのです。

手を掛けない仕事がこんなに気持ちのいいものだとは、この庭をつくっている時には考えもしなかったことでした。この場所は、桜田さんが落ち葉焚きをする所でもあります。腰掛があればその作業も楽になりますから、もっと早くつくってあげれば良かったと思いました。          
ここには、秋になれば栗の実やコナラのドングリが落ちますが、この庭をつくる前、施主さんが近所の子供たちに栗の実の取り方を教えていた光景が今でも心に残っています。こんな田舎でも、そんな光景はほとんど見られなくなりました。時々、妻子を連れて遊びに伺うのですが、子供たちが真っ先に向かうのも、この栗の木の下です。作者が苦心した苔山も石張りも、ドングリにはかないません(笑)。十分収穫した上に、また施主さんからお菓子をいただくずうずうしい子供たちですが、そんな微笑ましい光景がこの庭には似合うなと、優しいお施主さんに甘えております。

 

2005年作庭当時の様子

 

通路から庭を見る

完成

 

石臼の手水鉢

石臼は自噴式にして底から水を湧かせる

 

石臼回り

川石で畳む

 

小雨の朝には小さな水琴窟の音が聞こえる

苔のいす

 

三日月型の土塁

子供からお年寄りまで楽しめる庭

 

水鉢に置いてあった柄杓でひたすら水遊び

 

こちらの庭づくりの様子は、庭園専門誌「庭」168号(2006年3月1日 建築資料研究社発行)の「作庭者の十字路(クロスロード)」という特集の中で、作庭日記「柿の木の下で」 として紹介されています。

 

 

→作庭集

 

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