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〜次世代に残すものー私の街路樹奮闘記Part2〜

2007年7月1日発行の建築資料研究社「庭」176号の「街路樹は泣いている・パート8〜秋田のサムライたち決起する」に、私の記事が掲載されました。これは、174号の「パート7・街づくりの職人を目指してー私の街路樹奮闘記ー」の続編となります。
本コンテンツ中の「街路樹のその後とこれから」は、この記事を書いた後の街の様子を見て、改めて自分の考えを見直したものです。併せてお読みいただけると幸いです。
※以下の本文では、掲載された内容に注釈等を入れ、関係資料へのリンクも張っています。

 

前回の「街づくりの職人を目指してー私の街路樹奮闘記」掲載後、ありがたいことに全国各地のご同業の皆さんから、たくさんの共感のお電話やお便りをいただきました。
私がこのコーナーに寄稿した当初の目的は、「街路樹剪定の美醜は個人の感覚的なもの。権威が証明してくれなければ市は動けない。」という市の担当者の声を受けて、全国の造園関係者や研究者の皆さまの評価を聞き、市にその声を届けたいと思ったことが発端でした。
実際、著名な研究者の方の著書を読んだり講演を聴いたりもしましたが、「日本には優れた造園の資格があるから大丈夫。」というようなことを言われておられたりで、失礼ながら足元が見えていないのではないかと思うことも多々ありました。
テレビドラマで「事件は現場で起こっているんだ!」という名セリフがありましたが、まさにその通り、若輩の私がこんなことを言うのは大変恐れ多いのですが、もっと現場の実情を知り、次代の志を育てていくことも大切なのではないかと思います。
いくら専門の大学を出ても、木を傷めつける植え方や剪定をしていたら何にもなりません。
良い大学を出て大きな造園会社の監督になっても、都市設計の会社で図面を書いても、土木会社で造園の資格を取っても、木を植えて木を管理する仕事をすれば植木屋です。
山の木と街の木、庭の木になんの違いもないように、植木を扱えばみな植木屋、何の違いもありません。
造園の資格は、木をぶった切り、街を醜くするためにあるものではなく、技を適正に行使できる植木屋の良心と誇りを持っているかどうかという証であるべきだと考えています。
日本の造園技術は素晴らしいものです。 日本には優秀な資格を持つ造園業者や研究者がたくさんいて、専門の大学もあります。
日本全国で環境宣言都市が増え、声高に景観作りが叫ばれる昨今、なぜ日本の街路樹はこんな哀れな姿をしているのでしょうか。
なぜ、公園や高速道路の植栽支柱はあんなに醜いのでしょう。どこに問題があるのでしょうか。
今回、皆さまからの声を聞き、改めてこの問題に対する関心の深さを感じたと共に、現状を変えていくのは、足袋を履いて現場に立つ、我々職人なのではないかという思いを新たにしました。
さて、今回は前回の続編です。また新たな展開がありました。

 

残されなかった場所

地元紙の文化欄に掲載された記事です。→「残したい場所」

拙文は、2月上旬、所用で市内を運転中に偶然見た光景を書いたものです。
ちょうど、私の住む能代市二ツ井町のイチョウ並木の剪定庭誌174号パート7で紹介)を終えたばかりの頃でしたので、能代にもまだこんな素晴らしい景観が残っていたことに感動しました。文中のご婦人はまったく面識のない方ですが、思わず車を停めて声を掛けたくなるほど、私の心に響いてきたシーンでした。掲載後、子供の通う保育園の先生から共感のお手紙をいただいたり、いろんな方々から直接間接的に声を掛けていただきましたが、地域に同じ思いを持つ方がいることを知れたのは、とても嬉しい出来事でした。
この記事は、このような素晴らしい景観を大切に残していきながら、景観とは呼べなくなってしまった街並の樹木にも優しい目を向けてほしいという願いを込めて書いたものでしたが、この感動に浸る余韻もないまま、翌月ここのイチョウたちは、他のイチョウたちと同じく悲しい姿になりました。
変わり果てたこのイチョウを前に、悔しさと悲しさ、やり場のない怒りで立ち尽くす私に、くだんのご婦人が優しく声を掛けてくれたのが、せめてもの救いです。

 

街路樹剪定報告書

記事についての良い反響もありましたので、市にもその声が届くことを祈っていたのですが、残念ながら、今年も例年のように事務的に、伐採のような剪定が行われました。
二ツ井も能代も同じ能代市になったのに、二ツ井で出来たことがなぜ能代では出来ないのでしょう。

今冬、二ツ井で行わせていただいたイチョウの透かし剪定は、5年前にブツ切りされたものを直したものでしたが、数年後またこの木の剪定が行われる時、また同じ過ちを繰り返さないためにも、現状と対策、剪定目的や仕様の詳細などを写真解説付きの報告書として作成、参考として、作業時の市民の声や全国の街路樹事情などを記し、担当課に提出していました。
以前、旧能代市の担当課には「美観は個人の感覚的なもの」と言われておりましたので、今回は、雑な切り方によって傷んでいる木の状態や、切り口の保護、樹皮が早期回復できる剪定法、透かしとブツ切りでは枝の伸張がどう違うのかなど、好例悪例の実例写真なども記し、美観だけではなく、不適正な剪定は木の命に関わる問題であることを紹介しました。

この報告書は提出義務のあるものではありませんが、次回また私がこの木の剪定に携われるかどうかわかりませんし、たぶん担当者の方も移動になっているでしょうから、次にやる方々のため、現職員の方々に樹木管理の意識を高めていただくためにも、一つの形として残しておきたいと思いました。後日、課長さんから「約束どおり課の全員が目を通した。」という話を聞き、とても嬉しく思いました。
市町村合併による様々な条件の関係で、今回私が行なった旧二ツ井町(現能代市二ツ井町)の剪定の担当課と、旧能代市のブツ切りの担当課(本庁)は違います。 この報告書は、その本庁の担当課にも確認していただけるようにお願いしていたのですが、残念ながら、地元紙への寄稿もこの報告書も、ブツ切りが当たり前の旧市街では、何の力も持たなかったようです。

 

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やはり枝打ちなのか

この、残されなかった場所の変わり果てた姿を目の当たりにし、その足で市役所に向かいました。
担当課に案内され、これまでの私の活動と二ツ井で行った街路樹の剪定、地元紙の記事などを紹介しながら、なぜまたこのような剪定がされなければならなかったのかの事情を聞いたところ、返ってきた返事は、「市の街路樹は剪定ではなく『枝打ち』。適正な資格を持つ業者に発注し、市民の生活と樹木の生長とのバランスを考えた剪定を行っている。」というもの、これは以前に議員さんを通して聞いた時と同じ答えでしたが、直接この言葉を聞き、なんとも情けないような、やりきれない気持ちになったものです。
工事の看板には「整枝剪定」と書いてありましたが、「整枝」ではなく「整理」の間違いなのではないか、枝打ちなら枝打ちらしく、幹元からスパッと綺麗に切ってあげたほうがいいのではないかと思いました(下記注1参照)。

新生能代市のスローガンは「水と緑の環境の街」。街路樹を「枝打ち」することが「緑の環境の街」を作ることなのだろうか、街路樹を木らしい姿で街に存在させてあげることは能代では不可能なのか、市は「緑」という言葉をどのように捉えているのだろうか、市はブツ切りするために街に木を植えているのか、この街の市民も役人も業者も、この情け容赦ないぶった切り剪定に何の疑問も持たないのか、適正な資格を持つ業者に発注しているという市は、造園の資格に剪定や支柱の実技など無いことを知っているのだろうか(下記注2参照)、本を見ただけで技術が身に付くなら職人など要らない。これは市のトップである市長さんに直々に訊いてみなければどうしょうもないと思いました。

※注1 文中の枝打ち剪定について。下の写真は、今夏(2007年)秋田県内で見たエンジュの街路樹ですが、突然全ての枝を枝打ちすると、写真のような不定芽だらけの姿になります。自然樹形の枝抜き剪定を行う場合でも、どれだけ切るとどれだけの不定芽が出てくるのか、残す枝と不定芽のバランスを計算することも大切です。

※ 注2 厚生労働省認定の国家試験である二級造園技能士の実技試験には「添柱鳥居支柱」の課題がありますが、実際の植木に取り付けるものではなく、支柱だけを組み立てるもののようです。この資格に剪定の課題はありません。業界団体が認定する「街路樹剪定士」という資格には実技もあるようですが、この資格は造園技能士取得が受験の条件に入っています。

 

不適切な剪定でお化けのようになった街路樹

 

 

庭の会で市長に直訴しよう!

市長さんと話をしたいと言っても、何のツテもコネも持たないただの町植木屋が、多忙な市のトップとそう簡単に会えるものではありません。
どうしたものかと市の窓口に相談すると、幸い、市には、新市長の発案で開設された、市民と市長とが直接対話できる「ランチミーティング」という企画がありました。
しかし、この企画は団体が対象のものなので、私一人で会うことはできません。

そこで頭をよぎったのが、庭誌174号の『下関のジュニアたち これからの庭を考える』という座談会です。
街路樹についても熱く語る若い人たちの情熱をとてもうらやましく思うと共に、秋田でも、若い人たちと本気でこんな話をしなければと思いました。

奇しくも、庭誌140号の下関特集でも、市長と作庭者の方々が「まちづくり」をテーマに語っていたことを思い出しました。当地では、行政と業者がこのような関係を持てること自体ありえないことで、そんな、意識の高い自治体が存在することをとてもうらやましく思ったものです。
これをやりたい!ぜひこれを能代でやりたいとずっと思っていたのです。

でも現実的に、業者間の付き合いも無く、これまで他町だった私が市の業者に呼びかけるのは無理な話です。
さて、ではどうする。そうだ、庭の会があるではないか!
それでは手始めに庭の会でやろうではないかと思いました。
3年前、腹の底から庭が好きな仲間と話をしたいという思いで、当地在住の若手に声を掛け、『庭の会』を結成していました。でもこの会は思想や技術を強要するような会ではなく、自分が勉強したいことを知るために集まるという会でしたので、私が個人的にやっている活動を会に持ち込んでいいものかどうか、迷いました。
庭の会の基本理念は「恩返し」、教えてもらったことは次の人に返すという考えでやっています。作庭者としての自分を育ててくれる庭、人、街、自然への『恩返し』です。
会の活動として、既に白神山地への植樹に は毎年参加していますが、メンバーには、下関の若い人たちの話を紹介しながら、「自然への恩返しも街への恩返しも同じこと、我々植木屋は樹木があるから仕 事が出来る。傷んだ木を見て黙っているようでは植木屋ではない。職人は金で動くのではない。誇り高い職人であるためにも、皆の力を貸してくれ!」と話し、 快く皆の賛同を得ることができました。
次代を担う若い造園人を育てることなくして故郷の庭や街並の緑に未来はありません。職人に必要なのは技と心。誇りと良心。若いメンバーの志を育てるためにも、今回「庭の会」の活動の一環として、是非この直接対談を実現したいと思いました。

 

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いよいよ対談

市長さんとの対談は4月18日、平日の日中に行われました。会場は能代市役所二ツ井地域局の会議室。
絶好の仕事日和の中、自分の親方に頼み込んで休みをもらってきたメンバーの熱意には本当に頭が下がりました。
開始15分前に担当者の方と進行の打ち合わせ。「ご飯の時間が長くなると対談時間が少なくなる。」との説明を受けるや、「飯は3分で食べるのでご心配なく。飯食うのが遅い奴は仕事も遅い。」と返す私に続き、間髪入れず「僕は2分で食べます!!」と言うメンバー。 この若きパワー、熱意こそが、行政を突き動かし、街の緑を変える原動力になるのだと、とても頼もしく思いました。
皆現場から駆けつけてくれたので当然仕事着、職人が着慣れないスーツなんか着たら途端に弱腰になってしまいます。足袋に手甲が植木屋の正装、この出で立ちなら誰にも負けません。

係りの方に案内されて会場に入ると、部屋では既に、関係課の課長さんたちが待っていました。壁に『温故知新』の書が飾られています。
世の中には、変わり続けていいものと変わってはいけないものがある。まさに、失われつつある古き良き日本の心を大切にする我々植木屋が、公共造園が忘れかけた緑の本質を行政に問い掛けるのには、うってつけの、縁起のいい書が迎えてくれました。
「皆さん、ご苦労さん!」と元気良く市長さんが入って来ると、一気に会議室が緊張感で包まれます。この件で役所と話すのは何度も経験済みですが、改めて会議室での会談となると、また雰囲気が違うものです。
目の前に偉い人たちが勢ぞろいすると、さすがに緊張します。 外仕事の職人は堅苦しい部屋の中が苦手。武器(鋏やスコップ)を持たない植木屋が、百戦錬磨のお役人さんたちを相手に、無口な口で戦いを挑もうとするのですから心細くて仕方ありません(笑)。
事前の打ち合わせでは、木を見て話さなければ何も伝わらないと思い、出来れば現場で説明させてほしいとお願いしましたが、多忙な市長の時間的な都合や、この企画は「ランチで対話」だけに、とにかく一緒に弁当を食べることが優先されるので、これは通りませんでした。

ランチ後、いよいよ質疑に入ります。市長さんには、この日のために事前資料と質問状をお渡していました。
2年分の活動の資料をお渡ししましたので、読むだけでも一日掛かったのではないかと思います。
質問は10問でしたから60分10本勝負。 真面目な話し合いですから真剣勝負です。対談は、一括質問の後に市長さんがまとめて答えるというもので、会を代表して私が質問しました。セリフを棒読みするように、一人でただ質問を読むと言うのはなんだか張り合いがありませんでしたが、無口な口でも調子に乗ると止まりません。
身振り手振りを加え、写真や資料を見せる。あっちへこっちへ、先へ後へと話が飛ぶ。自分で自分の話をまとめるのに苦労しました。

そして市長さんの答弁です。この市長さんは元国会議員。演説の上手さ、人の心を掴むスピーチには定評があります。
正論をストレートに話すだけの私に対して、まずこれまでの役所の対応と街路樹の剪定に対する知識不足を素直に詫び、誠意を示してくれました。
質問に対しては、無駄な植栽支柱は即刻対処、醜いブツ切り剪定は再考、こちらが提案した、業者の奉仕による街路樹剪定のモデル地区作りにも快く賛成してくれましたので、一歩も二歩も前進です。 
質疑の後は自由討論。一方的な質疑は対話にはならないのと、質問に対する答えが真を付かないところもありますので、これからが本番。
関係課の課長さんも交えながら、かなり突っ込んだ話もしていきました。

「街路樹に木と街に合わせた剪定は出来ないのか。二ツ井地区でやれた透かし剪定を能代市内でできないのはなぜか?」という私の問いに対しては、
「実質、市の街路樹は3000本を超え、財政事情の悪い中、一本の木に掛けられる予算は限られてくる。電線、落葉、車や人の通行、人との暮らしの兼ね合いもある。」
それに対しては、「刈り込みのような木を透かしに直すには手間が3倍掛かるが、始めから透かしをしていればそんなに手間は掛からない。ブツ切りするから木の生理が狂い、次にやる時に手間が掛かる。下手に手を入れた木が、二年後、切る前より大きくなっているのを見ているか。前より葉が増えているのをご存知か。300本発注するところを100本にすることはできないのか。(今回は322本発注)。
小さな木まで一様にブツ切りにする必要はない。電線に当たるところだけをやればいい木もある。木との共生を楽しんでいる市民もいる。苦情があるなら住宅地を重点的に、住宅のない郊外は後回しにすればいい。
公園周りなどは公園樹と一体感を持たせるために、剪定は最小限でもいいのではないか。下手に手を入れなければ木はそんなに伸びない。木は剪定を待ってくれる。やらなくてもいい木、ちょっとやればいい木、ちゃんとやらなければならない木を分ければ予算調整できるはずだ。木は一本一本がみな違う。全ての木を同じく同じ予算でやる必要はない。
苦情が来たから切るという受身的なやり方ではなく、明確な剪定方針と景観目標を定めることが先決。知識が無くてそれを定められないなら、市の業者を全て呼んで木に登らせてみればいい。市民、有識者も呼んで、みんなで一番良い形を選んで能代の型を決めればいい。
立派なスローガンをうたうならば、市民に緑の大切さを伝えることもしなければ。落ち葉が邪魔なら落葉の有効利用を考えよう。『知らない知らない』で済ませず、面倒がらず、もっと木と現場を見ましょう。」と申し上げました。

話が盛り上がると、だんだん本質に近づいていきます。
「課には様々な業務がある。職員は街路樹のことばかりにかかっていられないのも現状だ。」という市長さんに対し、
「それはわかる。わかるが、もっとまちづくりの根本、植栽計画からきちんと考えなければダメだ。なぜ、いずれ邪魔になるとわかっている信号の横に木を植えなければならないのだ。街路樹は道路の付属物だから、後から信号が出来るのは仕方ない。でも既に信号ができている横に植える必要はあるのか。信号とセットで計画する必要はあるのか。ここは市役所のすぐ裏だ。なぜこれまで他町民だった私が気付いて、すぐ近くにいるあなた方が気づかないのだ。もっと計画段階で本気で考えてほしい。無駄な所に予算を使うのは、それこそ税金の無駄遣い。いずれ邪魔になる木をここに植えなくても、その予算を管理に回せばいいのではないか。」
こんな白熱した応酬もあった討論ですが、時間切れ。まだまだ話したりなかったのですが、残念ながらタイムアップになりました。
課に行けば、いつも2時間3時間話すのは普通でしたから、1時間はあまりにも短い。やはり現場で話さなければ伝えずらいというのが正直な感想です。

でも、とにもかくにも、市のトップに直訴することができました。ここまで辿り着くのに2年掛かりましたので、感慨無量のものがあります。市にはぜひ、今回の会の提案を話だけで終わらせずに、今後の施策に活かしていただきたいと思います。
たった1時間の会議でしたが、前後の移動や現場の段取りを考えると、丸一日、仕事を棒に振りました。この日のために資料を作成したり、写真を撮りに行ったり、街を調査したり、この1時間のためにかなりの時間をつぎ込みましたが、やっただけの価値はあったと思っています。
庭は礼に始まり礼に終わる。市長さん、関係課の皆さんには、後日お礼状を送り、その後の会の活動なども併せて報告しました。

 

能代市長とのランチミーティング

 

 

解らなかったら、やってみせる

鉄は熱いうちに打て!と言います。ビールも冷たいうちに飲まなければ不味い。
市長との直接対談を終えて2週間、 伝えるだけは伝えたけれど、まだまだこれから、この対談の勢いを、熱のあるうちに何かの形に表さないと、話だけで終わってしまいます。
街路樹の剪定モデル地区を作る計画は今冬の予定、まだまだやるべきことはあるはずだと、もうひとつの提案、「景観を損ない、樹木を傷つける植栽支柱の改善」を実現するために、5月4日、市内の公園を会場に、支柱講習会を開催しました。

市長との対談では、市長や関係課の課長さん自身が、剪定や支柱の実際を「知らなかった」と言われておりました。知らなければ勉強すればいいだけなのですが、何から勉強していいのかわからない場合もあります。
それだったら、我々業者のほうから役所の方に知る機会を作ってあげよう!ということで、役所の関係課にも開催の案内を出しました。

この公園は、完成後4年ほど、園内の樹木は白神山地に自生する樹種を主体に植栽されていて、地域の里山にも自生する樹種を選択している点は素晴らしいと思って見ていました。地元とはいえ、これまで、ただ通りすがりに見るだけだったこの公園ですが、樹木が傷んでいるのを見て何とかしてあげたいなとずっと思っていたところ、今回の市長さんとの対話を機に、思い切って、ここを管理する関係課と地区の自治会に声を掛けてみたのが事の始まりです。

当日の参加は、市役所から4名、地元の方が10数名、庭の会メンバー5名、予想をはるかに超える20名の参加を得ました。案内はしてみたものの、たぶん企画倒れ、結局会のメンバーだけでやることになるだろうなと思っていたところ、メンバーより早く市役所の方が来られていたのには驚きました。せっかくの休みなのに、皆さん仕方なくではなく、やる気を持って参加されていることをとても嬉しく思いました。
市役所の街路樹担当だという若い職員の方も来られていたのは嬉しいことです。
こんな若手の方がこれからの市を背負って立つのだと思います。
「発注者が現場と実務を知らなければ何時までたっても街の緑は変わらない。剪定も支柱も『木に合わせて臨機応変に対処する。』ということができなければダメだ。ちょっとの気遣いで木が助かる。小さな気遣いが大切で本質。県や国の仕事でもそんな本質を忘れている。木は生きている。事務的ではダメ、口先だけではダメ。こんな小さなことをちゃんとやることが評価に繋がる。『環境の街能代 白神山地の街能代』の株を上げていこう!」などと、有意義な会話も出来ました。

 

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活動から運動へ

後日、嬉しいことがありました。公園の担当課の方からお礼のお手紙をいただいたのです。現場で実際に木が傷んだ姿を見て、樹木の成長と管理、植栽計画や樹種選択、その地その木に合わせたやり方が大切だということを理解していただけたようです。
こちらから動いて熱意と誠意を伝えれば、わかってくれる人はいる。前回の庭誌掲載後も、「百人に話して伝わらなければ1万人に話す」という思いで活動していましたが、思いが伝わったと感じる瞬間は本当に嬉しいものです。これは、自己との葛藤や施主との対話の中でつくり上げる庭づくりの喜びと同じでした。
また、この二つの事業を、これまでの個人としての活動から庭の会みんなの活動として行えたということも、最高に嬉しい出来事でした。
今冬は、いよいよ街路樹のモデル地区作りに取り掛かりたいと思っています。職人の基本は『やってみせる』。市が剪定法を知らないなら、こちらが知る機会を作り、見本を見せてあげればよいのです。予算が無いなら、今回の支柱講習会のように、故郷のために奉仕でやればいい。

この一連の活動の中でひとつ気付いたことがあります。様々な方法で市民や行政、業者に伝えることはしてきたけれど、自分は一市民として自ら汗を流すことをしてきただろうかということです。行政に働きかけて仕事で成果を上げることはできたけれど、それは業者として当たり前の仕事をしただけで、口先だけだったのは自分ではなかったかということでした。
今春、庭の会に一人メンバーが増えました。偶然のイタズラか、彼の住むアパートは今冬私が剪定した銀杏並木の真ん前にあります。
住民の皆さんが落葉を嫌うなら、自分たちも一緒にその落葉を掃いてあげよう、ということで、今秋はみんなで落葉掃除に汗を流す予定です。いくらエラそうなことを言っても口先だけでは誰も信用してくれません。
仕事でやれば「あなた方はお金をもらってやってるんだろう?」と思われますし、専門知識を持つ業者の立場でもの言えば「仕事をもらいたくてやってんだろう?」と思われてしまいます。本気で街を良くしたいなら、事を待つのではなくこちらから事を作ること、まず自分が率先して汗を流さなければダメだと思いました。

 

 

次世代の子供たちに残すもの

最後に、庭誌175号の編集後記で紹介されていた「リオの伝説のスピーチ」のことを付け加えたいと思います。
世界の首相たちをぶん殴ったという12歳の少女の迫力ある話、読んでみて、私も頭をぶん殴られたような衝撃を受けました。
私にも小さな子供が二人いますが、自分は子供たちにとって恥ずかしくない大人だろうかと胸に手を当てて考えてみると、本当に恥ずかしくなることばかりしているような気がします。

子供に「なぜあの木は腕(枝)が無いの?」と言われたらなんと答えたらよいでしょう。
大人でさえ、街路樹のブツ切りが当たり前の姿だと勘違いしている現代、そのうち、棒のようなプラタナスを、プラタナスの本当の姿だと思う子供が出てくるかもしれません。
植物の光合成の仕組みを知った子供から、「なぜ、汚い炭酸ガスを吸ってくれて、私達が生きるための酸素を作ってくれる街路樹の葉っぱを全部切っちゃうの?」と言われたら、なんと答えたらよいでしょうか。
「お父さんは何のために植木屋をしているの?」と訊かれたら何と言えばいいでしょう。「お前たちを食わすためだ。お前も大人になればわかる。」という答えで納得してくれるでしょうか。
その答えで、子供に自然の素晴らしさや職人の誇りを教えることが出来るでしょうか。植木屋、植木屋でないに関わらず、素朴な子供の疑問に答えられる大人がどれだけいるでしょう。

この少女は、「大人たちは、自然の直し方を知らないのになぜ壊すのでしょう?」とも言っています。
市長さんは、市内で棒のような姿になったプラタナスを見て「こんなに切られて死なないの?」と思ったそうです。
行政は、木を元に戻す術を知らないのに、なぜ簡単に樹木をぶった切るような仕事を出すのでしょうか。
なぜ、知識も技術もない役所や元受の言いなりで、木を育て、守るのが仕事のはずの植木屋が木を傷めつける仕事をするのでしょうか。このスピーチを読んでいると、この少女にそんなことを言われているような気がしてなりません。

ブナの木を漢字で書くと「橅」、「木では無い」と書きます。
「こんな木、何の役にも立たない。ぶった切っちゃえ。」と伐採され続けてきたブナが、実は人類や地球にとって大変な役を持つ、かけがえのない貴重な財産であることに気付き、世界遺産になったのが白神山地です。
能代はその白神山地のお膝元、世界遺産になるとこんなにもありがたがられるのかと思うほど、街中には「白神」や「ブナ」の名の付く商品や会社があふれていますが、能代の街路樹が『木では無い』状態になっているのを見るにつけ、ブナがなぜ「木では無い」と呼ばれていたのかを思い出して欲しいと思ってしまいます。
美しい街路樹や公園が世界遺産になれば、もっと街の緑も大切に扱われるようになるのでしょうか。今、日本中の「木では無い」姿をした街路樹の実情が、ネットで私の所に届きます。
これは、能代ばかりに言えることではないようです。

次世代の子供たちに緑あふれる素敵な街や自然を残すためにも、私たち大人が、子供に恥ずかしくない生き方をすることを、今一度考える時なのかもしれません。
まずは、人間として、植木屋として、街のために、人のために、地球のために何が出来るのか、考えてみたいと思っています。

2007年5月 福岡 徹

 

あとがき

 

公共の木々はわたしたちの財産

 

ご精読ありがとうございました。
今回、会の活動が全国版の専門誌に「秋田のサムライたち」と紹介されたことは、田舎植木屋の私たちにとっては驚くべきことで、嬉しい反面、大変な責任も感じています。
私たちはまだまだ技も心も「にわかザムライ」、文の中で書いたことが全て上手くいっているかというと、現実はそんなに甘くはありません。
熱意だけで事を起こしたのはいいものの、これまで見えなかった問題も見え始め、自らの技術や知識の未熟を思い知らされることばかりでしたが、この一連の活動を通して得た経験は、より深く自分の仕事を見つめるための、かけがえのない機会になりました。
文中でご紹介した支柱講習会の公園の支柱補修は、その後も会の奉仕として続け、ようやくこの9月に完了しました。
この講習会は、畏れ多くも役所の皆さんにもご案内して行ったものでしたが、市にも私たちの思いは届き、今夏建設された市内の公園工事にもその内容が活かされたことは、なにより嬉しい出来事です。

この小さな街の植木屋たちの試みが、市にとどまらず、県へ国へと広がり、日本が緑あふれる美しい国になることを願ってやみません。

 

庭の会のメンバー

 


 

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