HOMEエッセイ・庭を考える > 「作庭私論・ふるさと秋田の庭をつくる〜4」

作庭私論・ふるさと秋田の庭をつくる〜4

夏場、私たちも、一服の時は庭の中の陰を探して涼んでいますが、どこで休むかというと、車庫の中とか建物の陰です。そこで気付いたのが、私のつくる庭には木陰で涼める場所が少ないということでした。
当地では、木陰は日陰と置き換えられて、日が当たらない、暗い、ジメジメするといったような、あまり良くない印象を持たれているように感じています。これまで、木陰を取り入れた庭といえば、山野草を植えるための庭をつくる時ぐらいでしたから、もっと、人の生活のために、木陰や木漏れ日を意識した庭づくりがされてもいいと思うようになってきました。

この活動を始めた頃の私は、街路樹を、剪定の美醜という「形」からしか見ていなかったように思いますが、この活動を続けたおかげで、街中の緑や人との関わりを見るようになり、樹木の効果や恩恵の有り難さに気付き、逆にそんなことを庭づくりに活かしていこうと思うようになったのですから、面白いものです。
庭を追求することのためには技術の習得や感性を磨くことが一番で、作庭にとって公共の緑などは関係のないことのように思われがちですが、「なぜ庭に木を植えるのか。」という、植木屋として当たり前の原点に返れたことは、この活動を通して得た一番の収穫かもしれません。

こんなふうに、様々な人との出会いや活動が私の考え方に影響を与えてくれたのですが、もうひとつ、私の作庭観を変えてくれた出来事がありました。
私はもともと露地が好きでしたので、三十代の頃は、土地の自然素材で庭を作ることが秋田の庭になると思い込み、プラントや採石場を回っては延段に使える石を探したり、水鉢に使えそうな原石を見つけてきては水穴を掘ったりしていました。
それなりのこだわりを持って庭をつくっていましたが、形としては、秋田の素材で京風の庭を作っていたということになるのかもしれません。当時は、庭誌などでもそのような地方の庭を取り上げておりましたので、自分でもそれが正しいと思っていましたし、また、そんな庭をつくりたいと思っていました。

それが、三十代の後半に結婚し、妻子を自分のつくった庭に連れて行くようになると、不思議なことに、庭に対する見方が変わってきました。
人並みに親バカなのかもしれませんが、それまで、たいした技術も無いくせに技術の粋を見せる庭をつくりたいと思っていたのが、子供が喜ぶ、家族みんなが楽しめる庭をつくりたいと思うようになってきたのです。
こんなことを思うようになったのも、偶然、庭で遊ぶ妻子の写真を撮り、その写真を何の気なしに見ていたら、人がいる庭、人が笑っている庭って、なんだかいいなぁ、人が入って完成する庭、人がいなくても人の気配がする庭というのもあってもいいかもしれないと、そんなことを思ったからでした。

技術を見せたいという欲があるからでしょう。これまで庭に人を入れて写真を撮るということは一度もありませんでしたし、被写体が自分の家族であることを抜きにしても、庭に人が居る風景をいいと思ったのは、この時が初めてでした。
その庭には、子供が遊べる水場があり、子供が喜ぶドングリのなる木があり、お年寄りから子供まで、家族みんなが楽しめるテラスやベンチがありました。
庭にテラスやベンチをつくったのもこの時が初めてでしたが、同じ使う庭でも、露地の席入りのような緊張感ではなく、人が入ることで、庭自体が何かほのぼのとした温かい空気に包まれるような、そんな雰囲気を感じました。
生活感のある庭、暮らしと共にある庭、年齢に関係なく五感で楽しめる庭の魅力を感じたのも、この時が初めてです。
仕事にかまけて家族との時間をなかなか取れないでいる私ですが、自分の子供たちから、庭は作り手の自己満足や作品ではなく、家族が暮らす場所なのだということを教えてもらったような気がしています。 →続きへ

1 2 3 4 5


 

→エッセイ 目次

Page top