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「純心」

今年入った新人君のこと。
自分からこの世界に入ってくる人は、植物が好きか物を作るのが好きかのどちらかだが、彼は本当に植物が好きらしい。
畑の実生の山の木を見つけては鉢植えにして育てている。

植木屋の仕事は、木を植え木を管理するのが仕事だが、時にはどうしようもない事情で伐採しなければならないこともある。
そんな時、彼はとても悲しい顔をする。
この気持ちは大切だ。

伐採でも刈り込みでもそうだが、機械で楽に切ることに慣れると、いつのまにか木に命があることを忘れ、生き物を傷つけているという感覚が麻痺してくる。
仕事をこなすこと、金を儲けることを優先しすぎると、仕事が荒くなる。
枝が伸びているからと、ただバチバチ切るだけの剪定は、伐採とさして変わらない。仕事が荒くなるということは、気持ちが荒むということだ。

剪定枝なども、ゴミだと思えばゴミだが、腐葉土になるものだと思えば資源にもなる。
ゴミだと思えばゴミだが、ゴミの中にも花咲く蕾が入っていることに気付ける植木屋でいたい。

やむなく伐採する時、この若者になんと言おうかと悩むこともある。
木がこれまでここで生きていたことに感謝しよう。
かわいそうだが、我々は木のためにだけ仕事をしているのではない。
人と木のために仕事をしているのだ。
先にくるのは人。
人と木が共生し、人が木と一緒に暮らせるような将来を作るためにこの仕事をするのだ。

先に来るのは人だが、植木屋の都合や人間のエゴだけで木に接してはいけない。
木は切られることを望んでいない。
木を一枝でも切ることは、木を傷つけることでもある。

木が木らしく庭で生きられるよう、最善を尽くそう。

 

 


 

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